話題は一つしかないのよ

君に贈り物を買ったとエドマンドが言った。彼女が本棚の上に立てかけていた、テラコッタの屋根飾りの代わりとなるもの。眠そうな目をしたヘルメスの頭からアカンサスの葉が広がっている飾りが、最初の揺れのときに落ちて割れたのだ。

「ヘルメスはそんなに惜しいと思わないだろ。つまり、どこにでもあるものだから」

「そこが好きだったのよ」

「すぐに代わりが買えるよ。山積みにして売ってるよ」

「また壊れちゃうだけよ」と彼女は言った。「次のが来たらね」

「話題を変えようよ」

「話題は一つしかないのよ。それが困ったことなの。かつては私も個性を持っていたと思うけど、今の私は何?」

「もう終わったんだと理解するように努めなよ」

「私、犬のような純粋な本能に戻ったのよ」

「人生は続いているんだから。みんな、自分の日常を続けているんだ」

「いや、違うわ。以前と同じようには続けていない。嘆き悲しんで歩き回っていないからって、以前に戻ったわけじゃないわ」

「嘆き悲しむことなど何もないよ。終わったんだ」

「でも、気を取られていないってわけじゃないわ。まだ一週間も経っていないのよ。余震はしょっちゅうあるし」

「どんどん小さくなっているよ」

「それほど小さくないのもあるわ。けっこうドキッとさせるものもあるわよ」

「お願いだから話題を変えてくれ」

 

『天使エスメラルダ 象牙のアクロバット』

車で空港に行って戻る長い道のり

ジルはしばらく眠った。僕はプールに浮かんで、どっちつかずの不安感が消えていくのを感じていた。集団でどこかに行かされる、計画通りに旅をするという居心地の悪さがなくなってきた。この場所は完璧に近く、ここに連れて来てもらったことがどれだけ幸運だったかを自分に言い聞かせる気にもなれないくらいだった。新しい場所の最良の部分は、我々自身の歓喜の叫びからも守られなければならない。言葉は数週間後、数か月後の、穏やかな夜のために取っておく。そんな夜のちょっとした一言が、記憶を蘇らせるのだ。誤った一言で風景は掻き消されてしまう、と我々は一緒に信じていたように思う。この思いそれ自体も言葉にされぬものであり、我々をつないでいるものの一つなのだ。

目を開けると、風に流される雲が見えた。疾走する雲。一羽のグンカンドリが気流の中に浮かんで、長い羽をじっと水平に広げている。世界と、その中のすべてのもの。自分が原初の瞬間に抱かれていると思うほど僕は愚かではなかった。これは現代の産物だ。このホテルは、客が文明から脱出したと感じるようにデザインされている。しかし、それほどナイーブではないにしても、僕はこの場所について疑いを掻き立てる気分でもなかった。僕たちは半日ほど苛々した気分を味わったのだ。車で空港に行って戻る長い道のり。そして今、体に冷たい淡水を感じている。太陽の上を飛ぶ鳥、低空飛行する雲の速さ、その巨大な頂が転がっている。僕もプールの中でふんわりと漂い、ゆっくりと回転する。リモコンで快楽が操作されているかのように。僕は、この世界に生きるとはどういうことかわかったように感じた。そう、これは特別だ。真剣な旅人の探求の端で輝いている、天地創造の夢。剥き出しの自然。後はジルが薄いカーテンの向こうから歩いて来て、黙ってプールに体を浸すだけだ。

 

『天使エスメラルダ 9つの物語 天地創造』

忘れやすさ

わたしはワイルダーを連れて果物売り場を通っていった。果物は光り輝き、そしてしっとりして、くっきりとした輪郭をみせていた。果物にも自意識があった。写真の案内書にあるカラーの果物のように、注意深く観察されるためだ。わたしたちはしゅっしゅっと水を吹き出すプラスチック容器のところで向きを変え、レジの方へ行った。わたしはワイルダーと一緒にいるのが好きだ。彼の世界はつかの間の満足感の連続だった。彼は得られるものは味わい、たちまち次々と押し寄せる楽しみにそのことを忘れてしまった。わたしがうらやみ、驚嘆するのは、この忘れやすさだった。

レジの女性が彼にいくつか質問をし、子供っぽい声でその返事までした。

町にある家のなかには、手入れを怠っているものが何件か目についた。公園のベンチも修理が必要だったし、穴のあいた道路も再舗装が必要だった。時のしるし。しかしスーパーマーケットは変わりがなく、むしろずっとよくなっていた。商品はよくそろい、音楽もかかり、明るくなっていた。これが鍵だ、とわたしは思えた。すべてがすばらしかったし、すばらしくなりつづけ、スーパーマーケットがなくならない限り、やがてもっとよくなるだろう。

 

『ホワイト・ノイズ 三章 ダイラーの宇宙』

あの人たちを殺した理由

「ぼくが何をしたいか誰がわかるの?誰かが何かをしたいって誰にわかるの?パパはそんなことをどうして確かめられる?そんなことってまったく、脳科学でいう、あちこちに伝わる信号とか、大脳皮質のなかの電気エネルギーの問題じゃないの?それが本当にしたいことなのか、単なる脳のなかのある種の神経への刺激なのか、どうやって見分けるの?マイナーな小さなことが脳の半球のひとつの、重要でない場所のどこかで起こるとするね、そして突然ぼくはモンタナに行きたくなるか、行きたくなくなる。ぼくがほんとうに行きたいってことをどうやって知ればいいの、だってただ神経細胞での発信とか何かかもしれないじゃないか?たぶん脊髄でたまたま閃くものがあって、ぼくは突然モンタナにいるんだ。そして初めからこんなとこに来たくはなかったってことに気づくの。ぼくは自分の脳に起こることなんてコントロールできないものね、今から十秒後にぼくが何をしたいか確かめられないだろう?ましてや来年の夏のモンタナのことなんて。みんな脳のなかの活動しだいなんだよ、パパだって自分がひとりの人間としてどうだとか、たまたま閃きがあったりなかったりする神経細胞が、どんなものかなんてわからないよ。それがトミー・ロイがあの人たちを殺した理由なんじゃないかな?」

 

『ホワイト・ノイズ 一章 波動と放射』

“どちらか”か、“または”

「わたし、電話のダイアルをまわしていて、誰にかけているのか忘れるの。店に行っても何を買うのか忘れてるわ。誰かがわたしに何か言うでしょ、わたし、それを忘れてるの、それで、もう一度言ってくれるでしょ、でまた忘れているの、また言ってくれるわ、おかしそうな笑いを浮かべて」

「ぼくたちはみんな忘れるものだよ」とわたしは言った。

「わたし、名前や、顔や、電話番号や、住所や、約束時間や、指図や、指示なんかを忘れるわ」

「そんなことは誰にでも多少とも起きることだよ」

「わたしね、ステッフィーがステファニーって呼ばれるのが好きじゃないってことを忘れるの。時にはデニスって呼んだりするわ。車をどこに止めたのか忘れることもある。そして長いあいだそのまま、挙句にどんな車だったかも忘れてるの」

「忘れっぽくさせるものが空気や水のなかに入りこんでいたんだよ。それが食物連鎖に入ってきた」

「たぶんわたしが噛むガムだわ。こじつけすぎかしら?」

「ほかのものじゃないかな」

「どういう意味?」

「ガム以外に何か食べるだろう?」

「そんなことどこで聞いたの?」

「ステッフィーからの受け売りさ」

「ステッフィーは誰から聞いたの?」

「デニス」

彼女は、もしデニスが噂や推測のもとであるなら、その話は十分に真実の可能性があると認めて、黙った。

「デニスはわたしが何を食べているって言うの?」

「彼女に聞く前にきみに聞きたかったんだ」

「わたしが知る限り、自分の記憶力を減退させるものは何も食べてないわ。それにわたしは年寄りでもないし、頭に怪我をしたこともないし、家系を見ても子宮後屈だってこと以外は何もないのよ」

「きみは多分デニスが正しいって言ってるんだね」

「だってそれを否定できないでしょ」

「きみが多分記憶力を損なう副作用のあるものを、食べているって言ってるんだ」

「わたしが何か食べていて、それを思い出せないのか、または何も食べていなくて、それを思い出せないのかのどちらかね。わたしの人生は、“どちらか”か、“または”なの。普通のガムを噛むか、またはシュガーレスのガムを噛むのかのどちらか。ガムを噛むかまたはタバコを喫うかのどちらか。ガムを噛むかまたは煙草を喫うのかのどちらか。タバコを喫うかまたは肥るかのどちらか。肥るかまたはスタジアムの階段を駆け上るかのどちらか」

「うんざりする人生みたいだよ」

「わたしは永遠に続いてほしいのよ」と彼女は言った。

 

『ホワイト・ノイズ 一章 波動と放射』