新しい物の見方

「未処理下水で重要なのは」と彼は言った。「細やかな愛情をもって取り扱ってやること。地下深くに送り、フィルターからフィルターへと水を通す。それから沈殿槽と曝気槽までポンプで汲み上げてやる。それから分離して水面の濁りを取り除いたら、バクテリアにお守りをさせる」

彼は一通りの工程を彩り豊かに説明していき、ある種の単語―グチュグチュ、ヌルン、ドロリ、ネチッ、ツルツル、ヌメヌメ―は舌で愛撫するように引き延ばした。

「というのも今やこれが俺たちの環境なんだよ。この悪臭でプンプンするタールみたいな物質がな」

自己懲罰的なランニングから彼が救い出したなけなしの愉しみ。目を大きく見開き、力強い声で喋り続けるので、それは人身攻撃のような響きを帯びてくる。

「それから、糞尿運搬船が引き取りに来てくれるのを待つ。北東部の方じゃ、蜜壺って呼ばれてるやつさ。糞尿はその船から海洋に投棄されるんだ。俺たちが自分ちで糞すんのと同じさ。ニュージャージー沖百六マイルのところに、合法的にな。ときにはそれほど合法的でもないんだが」

「面白いですね」

「面白い」と彼が言った。「だろっ?」

「ええ、ほんとに」

「考えたこともなかったろ、えっ?」

「ちょっとくらいはありますよ」

「一度も考えたことなんかないはずだよ。なっ?」

「たぶんなんとなくは考えたことがあると思います」

「たぶんなんとなく、か。うまく言ったもんだな。ケチのつけようがない」

三角形の翼をした飛行機が太陽に近づき、幻のように上昇すると、きらめくオゾンの彼方へ消えていった。

「でも、どうしてそれが我々の環境になるんです?」と俺が言った。

俺たちは雨水で侵食されてできた溝を走っていった。地表は小石で覆われていた。

「これっておまえと俺が―ここに集まったやつらみんなが―基本的に取り組んでいる者なんだ。その上に加えて―というか、その下に沈めてっていうか―俺たちの標榜する使命なんだ」

「何もかもがゴミだ。そう言いたいんですか?」

「ああ、そう言いたいんだ」

すべてのゴミはクソに服従する。すべてのゴミはクソの状態を希求する[ウォルター・ペイターによる「すべての芸術は音楽の状態を希求する」という言葉のパロディ]。

俺たちは小競り合いして、何とか優位なポジションを取ろうとした。シムズは鼻の下にうっすら浮かんだ汗を拭き払った。

「家の方の調子はどうだい?すべて順調なのか?」

「万事順調です。家の方はうまく行ってます。お心遣いありがとう」

「奥さんのことは愛してる?」と彼は聞いた。

「ええ、愛してますよ」

「愛してやれよ。向こうはおまえのことを愛しているからな」

俺たちはスピードを上げた。シムズは帽子を脱ぎ、それで俺を叩くと、再び頭に載せた。

「でも、この船の話ですけど」と俺が言った。

「この船の話っていうのは他愛のない噂だよ、雪だるま式に膨れ上がるんだ」

「今いちばんホットなジョークですね」

「乗組員がしょっちゅう変わるんだ。知ってたか?」と彼が言った。「船名よりも頻繁に乗組員が変えられるんだ」

彼は笑い声をあげると帽子で俺を叩いた。

「乗員がひとり抜けるだろ、そしたら別のをさらってくるんだ」

彼は俺を引き離しにかかり、俺はそれに追いつこうとした。俺たちは明るくて清潔な熱気の中、猛烈な勢いでゴルフコースを通過した。

その後、俺たちは一緒に車に乗り、「キャンパス」と呼ばれるロサンゼルス本社に戻った。本社は陸橋で鈴なりに連結されたミラーグラス張りのビル群で、ハイウェイ沿いに聳え建っている。俺はこの建物が粉々になるのをスローモーションで見る思いがした。

丸石の敷かれた道沿いに俺たちは池を越え、濃黄色の彫刻を過ぎ、シナモン色のジョギングコースを越えていった。

「このビルがぜんぶ粉々に崩壊するのが目に浮かびませんか?」

彼は俺の方を見た。

「それがこのビル群の正しい見方なんだと思いませんか?」

彼はこんな突飛な考えに関わり合いたくなかった。

「これが新しい物の見方だって思いません?」

俺たちは迷路のようになった廊下を歩いていった。シムズがカード式キーを鍵穴に差し込んで、電動式の扉を次々に開けていく。これぞ「抜け目なき新世界[オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』のパロディ、もとはシェイクスピア『テンペスト』の科白より]」、マイクロプロセッサーが暗号化された鍵を読み取っていく。俺は鍵に差し込まれたカードが立てるピーッ、カチッという音が好きだった。その音はコネを意味した。暗号キーを持った者だけが権力の源にアクセスできる、こう思うと俺は何だか嬉しくなった。エレベーターで、シムズは声紋認識装置に向かって名前を告げた。シミオン・ブランソン・ビッグス。朗々とした響きがその場にしっくりくる。エレベーターは即座に三階まで上昇した。

そして俺たちは彼のオフィスに腰を下ろした。

「ここじゃあ、誰も死なないんだ。その廊下の奥では血圧を計ってくれる。フィットネスルームもある。体脂肪率を計ってくれて、何をどれくらい食えばいいのか、グラム、オンス単位で教えてくれる」

彼は煙草に火をつけ、懐疑的な煙を透かして俺の方を見た。

「みんなスニーカーを履いて、ブロンドの髭を生やしたまま出社するんだ。テニスやバレーボールをやる。そして毎晩ぐっすり眠り、毎朝真っ新になって出社するんだよ」

彼は昔「ドタ靴」と呼ばれていた靴を履いていた。重くてどでかい代物で、爪先部分は四角い革で補強されている。

「神を信じるか?」と彼が言った。

「ええ、信じてると思います」

「いつか野球の試合を観に行こうぜ」

シムズは電話をかけたり、手紙を読んだり、いろいろしなければならないことがあった。俺はほかの人たちとしばらく一緒に過ごし、タクシーでホテルに向かった―ここには二、三日いる予定だった。そして、タクシーの運転手が奇妙なことを言った。車は動いていた。俺は自分がどこを走っているのかわからなかった。ある都市にやってくる、すると運転手が俺たちをどこかへ連れて行く―俺たちは彼らを信用するしかない。で、俺に向けられたセリフなのか独り言なのかわからないが、運転手が奇妙なことを言ったのだ。歳とった男で、手つきがどこかぎこちなく、声に引っかかりがあった。きちんと噛み合っていないロープの結び目のような、喘ぎになっていない喘ぎ。

彼は言った。「ラッキーに火をつけろ。そろそろ一服どきだ」

俺たちのどちらも煙草を手にしていなかったし、煙草に手を伸ばす素振りも見せていなかった。おそらく彼は昔のスローガンを思い起こし、ただ思いついたからその文句を口にしたのだろう。記憶のどこか底の方からその文句が飛び出してきた、それだけの話。しかし、どこか奇妙で、不気味だった。ある街にやってきて、こんな文句を聴かされたら誰だって訳がわからなくなるものだ。俺は少し横に寄ってこの男の横顔を眺め、彼が何を言おうとしていたのか理解しようとしてみた。

 

『アンダーワールド 上 未知の暗雲』

躁病の天使

デトワイラーは顎を少し傾け、この発言を少しばかりだが楽しんでいる様子を示した。この男には業界内の一匹狼が持つ老獪な落ち着きがあった。システムを撹乱し、ひとりよがりの観衆をコケにするアウトサイダー。彼の外見には化粧直しされたような、組み立て直されたようなところがあった。剃り上げられた頭にぼさぼさの口髭。厳格に制御された男、フィットネスのインストラクターに指導を受け、クレジットカードの経歴も汚れておらず、黒のタートルネックのジャージにデザイナーズブランドのジーンズを合わせている男。ツルツルの頭を除けばスワッピング倶楽部会員であってもおかしくない、などと思えたりもする。

「シムズ、この光景から何が見えて来るか、教えてあげよう。未来の風景だよ。最後に唯一残る光景。廃棄物が有害なものになればなるほど、観光客はさらなる労苦と出費をしてでもそこを見学しようとする。きみの会社はここを隔離すべきじゃないんだ。最高度に有害な廃棄物は、そりゃ、隔離すべきだね。そのことで、偉大さ、魔術的な不気味さが増すから。でもいわゆる家庭ゴミはそれを出した町に残すべきなんだ。生ゴミは目の届くところへ。みんながそれを見て、敬意を抱くように仕向けなくては。廃棄物処理施設を隠したりしないように。廃棄物で何か建造すればいい。廃棄物のリサイクルで作る豪華なビルを設計して、みんな自分のゴミを持ち寄るようにって呼びかけて、圧縮ピストンとかベルトコンベアを操作させる。そろそろ自分のゴミを知る番だって。やばいブツとか化学廃棄物とか核廃棄物とかは遠く離れた土地に持っていって郷愁の対象にしてしまう。バスツアーとか絵葉書とかができるよ、絶対にね」

このアイデアをどう受け取ったらよいのか、シムズにはよくわからなかった。

「どんな郷愁?」

「我々がどれほど入り組んだ憧憬の念を持つことができるか、その能力を過小評価しちゃいけないよ。文明から御法度になった物質、昔の産業や昔の利害対立が持つ野蛮な力への郷愁だな」

デトワイラーは六〇年代においては異端分子だった。多くの有名人の家庭ゴミを盗んで分析するゴミゲリラだったのだ。彼はゴミの内容細目に個人的な評論を添え、共産党の声明文を模した形式で発表し、地下出版社がそれを片っ端から印刷した。ワシントン北西にあるエドガー・フーヴァーの自宅から長官の家庭ゴミをかっぱらって逮捕されたとき、その活動も頂点に達し、人々が彼の名前を記憶しているのもこの事件のためだった。タンバリンを持って放浪するヒッピーガールの集団や爆弾魔や空中浮遊能力の持ち主やラリった世捨て人や家出少年たち―彼はこうした連中と並んで、当時を記録する年代記のなかで束の間の熱っぽい名声を享受したのだった。

鳥が一羽クレーターを端から端へ横切った。フィンチかミソサザイ、あたふたと先を急いで飛んでいく。日没が迫っている。

デトワイラーは言った。都市とはゴミの上にのっかって上昇する、と。一インチずつ、埋められたゴミ屑が増加するにしたがって何十年もかけて隆起していく。ゴミ屑はいつも積み上げられたり隅の方へ押しやられたりしてきた。屋内でも屋外でも。しかし、ゴミにはそれ自身の弾みがある。それは押し返してくる。身近にあるありとあらゆる空隙に押し入ってきて建造物の構造を限定したり、儀式の体系に変更を強いたりする。さらにゴミは鼠と疑心暗鬼(パラノイア)を産み出す。人間は何か組織的な反応を発達させるべく強いられたのだ。つまり、ゴミを処分するうまい方策を見つけ、それを実行する社会組織―労働者、管理職、運搬業、廃品回収業―を造り出す必要に駆られる。文明が築き上げられ、歴史が駆り立てられるのは…。

彼はあのトークショー的な調子で話した。論点が明確で、口調はこなれていて、万人向けの親密さが漂う。彼はゴミのセールスマン、出版契約やドキュメンタリー映画の口をいつも捜している。俺が思うに、話を聞いているのが二人だろうが五十万人だろうが構わないのだろう。

「な、こう考えると、すべてを逆から見ることになる」と彼が言った。

人間たちが狩りの様子を銅製の門戸に打ち出したり、星空のもとで哲学を語らい合ったりするうちに、文明が勃興し、繁栄した。ゴミの話などただ厄介な脇道で、忘却の彼方へ一掃されてしまった。これは嘘だ。ゴミがまず先に生まれ、人間はそれに対する反応、防衛として文明を築き上げるよう駆り立てられたのだ。人間は自分たちのゴミをどこかへ遺棄し、捨てようのないものはなんとか活用し、活用しようのないものを再生する手立てを見つけださなくてはならなかった。ゴミは押し返してくるのだから。上へ横へと増加していくのだから。ゴミに迫られ我々は厳しく律せられた論理を練り上げ、それが現実の傾倒だった探求へ繋がり、さらに、科学、芸術、音楽、数学が生み出されたのだ。

太陽が沈んでいった。

「本気で信じてるんですか?」と俺は言った。

「あたりまえでしょ。UCLAでもこれを教えているんだから。学生たちをゴミ捨て場まで連れていって、自分たちがその中で暮らしている文明というものを理解させるんだ。消費か、さもなくば死か。これが文化の掟なんだよ。何もかも、最後はゴミ捨て場にやってくる。僕らはまず途方もない量のゴミを出し、それからゴミに反応するんだ。技術的な意味ばかりでなくて心や知性の面でも反応するんだよ。ゴミの方が僕らを形造っていく。思考はゴミにコントロールされるがまま。まず屑が先に来て、それから、我々がそれに対処する機構を築き上げる」

大空の周縁にある雲はクロム色を帯び、天頂のあたりはいまだに穏やかな正午の青をたたえていた。しかし、クレーターは瞬く間に暗くなっていった。巨大なビニールの裏地が風にはためき、自然界の音域を逸脱した不気味な音楽を奏でている。その表面は今や群青色で、依然として空の色を斑に散らしてはいるものの、影や運動が次から次へとそこを移ろっていく。俺たちは束の間その場に立ちつくし、それから車に戻った。デトワイラーは後部座席の真ん中に座り、俺たちの会社がインディアンの聖地にゴミを廃棄していると言ってひやかした。また、同じ口調でウィズの先駆者的地位についても語った。この会社はほかの従来型の会社組織と同様、飽くなき貪欲さを持ち合わせていると彼は考えていた。

俺たちは人っ子ひとりいない道路を進んだ。

「シムズ、あの噂を迫ってるかい?あなたんとこの船だけど」

「俺の管轄外だよ」

「なんかとんでもない物質を捨ててしまおうって、世界の海を巡り巡ってるんだろ」

「興味ないね」とシムズが言った。

「興味大ありだよ。どうやらアメリカに向かってるらしいぜ」

「あんたの方が俺たちより知ってるんだから」とシムズは苦々しそうに言った。「俺たちなんか何にも知らないよな、ニック?」

「僕たちは六〇年代の世代じゃないから。四〇年代、五〇年代の人間なんです」

「俺たちの知識は限られてるんだよ」とシムズが言った。

「なんであれ、たいして知らないんです」

「俺たちはラジオを聴いてたんだ」とシムズが言った。「ローン・レンジャーとトントの世代なんだよ」

「今は昔」と俺が言った。

「駿馬シルバー、その蹄、地響き轟かす」

「電光石火の奔馬」

「俺たちの世代はこれなんだよ、ジェシー」

「もうもうたる土埃」

「それから、“ハイヨー、シルバー!”」

俺たちは声をバリトンまで低くして、昔のラジオドラマの感じを出す。

「面白いよな」とデトワイラーが言った。「きみたち、トントの馬の名前は絶対に知らないはずだよ。どうだい、シムズ。白人の馬の名前は覚えてるだろ。じゃあなぜインディアンの馬の名前は覚えてないんだい?」

俺はデトワイラーのことを好きだとは思わなかったが、それでも彼の話を聞いていて楽しかった。シムズは違った。シムズは彼にもう一度ヘッドロックをかけたがっていた。前回ほど友好的ではないやつを。彼はインディアンの馬の名前を知らなかった。それが少し気に障ったのだ。

ジェシーは話し続けた。

「危険になればなるほど廃棄物っていうのは英雄的になっていくんだよ。光輝を放つ土地。インディアンたちが今この土地を崇め奉っているように、我々も来世紀にはこの土地を神聖なものとして眺めるはずさ。プルトニウム国立公園。白人の神々に残された最後の霊場。防毒マスクを着けて、防護スーツを着た観光客たち」

「インディアンの馬の名前って何ですか?」と俺は聞いた。

「スカウト。いいかい?これは驚きだし、同時にショックでもある。根の深い文化的な欠落だよ。トントの馬。それをあんたたちは知らないって言うんだから」

彼は俺たちの方へ身を屈め、そしてひやかしつづけた。

「ある船が何千バレル分もの産業廃棄物を運搬している。それともCIAがらみのヘロインだっけ?僕としてはまんざら信じないわけでもない。どうしてって、そりゃ信じるのは簡単だから。信じないなんていったらアホだよ、ここまで知ってるんだから」

「知ってるって、何を?」

編隊を組んだヘリが、十機だか十二機だか、道路上空を真っ直ぐ俺たちの方へ向かってきた。強襲用輸送機の大きな機体が躁病の天使のような光を発しながらやってくる。上空を通過するときには、そのけたたましい突風が車内から空気を吸い出し、俺たちは弱々しく身を屈める。

「すべては繋がってるっていうことさ」とジェシーが言った。

 

『アンダーワールド 上 未知の暗雲』

疑念と非現実性の信仰

数週間後、エドガーは食堂から戻る途中の道すがら『タイム』を手に取り、そこに大きなカラー写真を見た。写っているのは白髪頭の女性で、ディレクターズチェアに腰かけており、その頭上には雨風で傷んだ爆撃機の翼が延びている。彼女はその名前、クララ・サックスに聞き覚えがあった。なぜなら彼女にとって聞き覚えがないものなどないのだ。人々が彼女に様々な名前を囁きかけるし、修道院の埃っぽい回廊や学校の用具室―鉛筆の木材や作文練習帳の匂いが立ちこめる―に情報が渦巻くのを感じるし、あるいは神父が振る吊り香炉の煙の中に何か暗い知識が浮遊するのを感知するからである。彼女にとって事象は老朽化した床板が軋る音や衣服の香り、湿っぽい駱駝色した男ものの外套によって定義される。彼女は染みひとつない木綿製の修道衣やヴェールの編み目からニュースや噂や破局を吸い寄せるのだ。

あらゆる繋がりをまだ覚えていた。この女性はこの界隈に住む男と結婚していた。この男はエドガーのかつての教え子にチェスを指導していた。いつもネクタイが曲がっていたあの少年、マシュー・アロイシアス・シェイ。ピンクになるまで爪を噛み、生徒のなかでもかなり頭はよく、父親はいなかった。

彼女はわかっていた。そう、チェス、あのスラブ民族的な陰険さ、あの罠と策略。一九七二年にボビー・フィッシャーがボリス・スパスキーと戦ったとき、フィッシャーは自分の歯から詰め物をすべて取り外したという。その理由が彼女には完璧に理解できた―臼歯のなかにはアマルガムの詰め物がされており、そこにKGBが電波を送って、彼を操ろうとするかもしれないからだ。

彼女はその雑誌を物置にしまった。そこには数十年前、映画スターに対する信仰を失って以来目を通さなくなっていた古いファン雑誌がしまってあった。

疑念と非現実性の信仰。神を放射線で置き換えてしまう信仰。アルファ粒子とそれらを形作る全知全能のシステム、果てしなく繋がる環が神に取って代わる。

その夜彼女は自分の部屋の洗面器に屈み込み、スチールウールのたわしを消毒した。そのあと彼女はこのたわしを使って掃除用のブラシをごしごし洗い、毛の一本一本まできれいにした。しかし彼女はもとの消毒液をその消毒液よりも強力なもので洗浄することはしなかった。それをしなかったのは、それでは無限に後退することになるからで、後退が無限なのはそれが無限後退と呼ばれるものだからである。以下に恐怖心というものが物体の強引なぶつかり合いからなる世界を超え、遥か高みにまで浸透するか。言葉が言葉自身を相手に戯れるような次元にまで広がるか。

彼女は洗浄し、祈った。

彼女は作業を行いながら短い祈りの文句を唱えた。「射禱」と呼ばれるシンプルで敬虔な嘆願文句。これを言うたびに、今度は年単位ではなく一日単位で免罪が得られる。

彼女は祈り、そして考えた。

彼女はベッドに入り、眠れずに横になったまま、エスメラルダのことを考えた。彼らは何度も目撃しておきながら一度も彼女を捕まえることができない。グレイシーや修道士たち、すばしっこいイスミアルの部下たちでさえも。あの子は安全だというエドガーの確信は、だんだんとぐらついてきた。

彼女は自分の方へやって来る情報の息吹なら何だって歓迎した。そこに不穏な要素があればなおさらだった。しかし今回に限って、虫の知らせが彼女を強力に揺さぶった。彼女は「壁」のうちに何かを感知した。この少女の行く手に待ち受ける、鈍く、ドロドロした危険。車体、遺棄された人間の四肢、そして何エーカー分もの未回収ゴミをしなやかに擦り抜けていくこの少女。慈悲深い我らの母よ、我らのために祈り給え。これで三百日分。

 

『アンダーワールド 上 左手のための挽歌』

下級Gメン

「シスター、たまに不思議に思うんですけど、なんでこういったことを我慢してるんですか?」とグレイシーが言った。「心の平和と安寧ならもう充分手に入れたでしょう。州北部に住んで、裏方の仕事に就くこともできたはずです。薔薇園に腰を下ろして片手には推理小説、足元にはあのペッパーちゃんが擦り寄ってくるなんて、私だったら最高なのに」ペッパーちゃんとは修道会本部にいる猫のことだ。「池までお弁当持ってピクニックにも行けるじゃないですか」

エドガーは陰気にニヤッと笑ったが、それは表には現れずどこか口蓋の奥の方に漂った。彼女にとって北での生活など憧れでも何でもなかった。まさにこの場所が世界の真実であり、心のふるさとであり、自分自身の姿なのだ。彼女は自分自身の姿を見つめた。臆病者の自分―自己の内に残る崩壊の痕を治癒するため、路地の持つ本物の恐怖に立ち向かわなくてはならない。自分の仕事を為すべき場所として、ほかにどこが考えられるだろう?勇敢で狂気に駆られたイスミアル・ムニョスの壁が立つこの土地でないとすれば?

 

バックミラー越しに、彼女は観光客たちがバスから降りるのを見た。彼らは通りをおずおずと進み、写真を撮ろうと構える。それに、ほとんどなんの興味も示さずに脇を通り過ぎて行く学童たち―彼らは毎晩、窓の外に銃声を聞いてきたのであり、彼らにとって路上の死とテレビ画面上の死は入れ替え可能なのだ。しかし、いったい彼女は何を知っていたのだろう?未だに金曜日には魚を食べるこの老女、彼女は今ここで自分が役に立たないと感じ始めている、シスター・グレイスよりもずっと価値がないと。グレイシーは人間の価値のために戦う兵士であり闘士。エドガーは基本的にいって下級Gメンであり、一連の法律と禁則を保護しているに過ぎない。

彼女の心臓は鴉の心臓だった。小さくて頑固。

交通の止まった道路にパトカーの甲高い声が響いた。蛍光色のベストを着た作業員に付き添われて百人もの地下鉄乗客がトンネルから出てくる。そして彼女は観光客らがスナップ写真を撮るのを見て、何年も前のローマ旅行を思い出した。研修のため、魂の洗濯のためのローマ旅行。彼女は巨大な円盤の下をぶらつき、カタコンベや教会の地下室をうろついたものだった。そして、乗客が表通りに上がってくるのを見ながら思い出していた。とあるカプチン会派教会の地下礼拝堂で、そこに積み上げられた骸骨の山から目を逸らすことができなかったこと。おびただしい蹠骨や大腿骨や頭蓋骨、壁龕や壁穴にどっと積み上げられた頭蓋骨を飾っていた修道僧たちの肉はいったいどこへ行ったのだろうと思ったものだ。そしてあの時の自分は意地悪くこう考えた。この死者たちはいつか地上に現れ、生者を鞭打ち、棍棒で殴り、罪を犯した生者に罰をくれるのだ。そう、死の勝利。

しかし、今でも本当にそう信じたいのだろうか?

 

その夜、エドガーは浅い眠りの表層のすぐ下で再び地下鉄の乗客を見た。成人男性、出産適齢期の女性たち、みな煙の立ちこめるトンネルから脱出され、作業員専用通路を手探りで進み、昇降口階段を上って街路まで誘導される。父親たちに母親たち、はぐれていた両親が見つかり、身を寄せ合う。シャツの裾がまくれ上がり、体を持ち上げられて、蛍光色をした羽根を持つ顔のない小さな生き物によって地上まで導かれる。

 

『アンダーワールド 左手のための挽歌』