持てる知識なんかみんな捨て去ること

くだんの二人組は、八日間ぶっ通しで、一日に十八時間、彼女のマインド・コントロールを解こうとした。それまでの彼女の行動を並べ立て、キー・フレイズを何度も繰り返し、テープを流し、壁に映画を映し出した。いつもブラインドは下ろしたままで、扉には鍵がかかったままだった。壁掛け時計も腕時計も見当たらなかった。彼女が眠りこんだり眠ろうとすると、やつらは姿を消した。それと入れ替わりに、土地の教会の信徒と思しき女がやってきて、ヘッドホンを被って椅子に腰掛け、ザトウクジラの鳴き声に聴き入った。

今にも眠りに落ちそうなこうした静寂のひととき、彼女はときおり両親のことをいとおしく思ったり、この度の奪還劇を思い出しては心が千々に乱れた。

洗脳されていたのだ、お前は。

マインド・コントロールされていたのだ、お前は。

何かに取り憑かれた目をしてるぞ、お前は。

総かと思えば、今度は奪還劇に関わった奴ら全員に嫌悪を催し、こうして部屋に監禁され、何度も説教を聞かされるのは、親が子供に強いる虐待と論理的には同じことだと思わずにはいられなかった。むろん彼らにしてみれば、そういったことこそ、教会が彼女に対してこれまで散々やってきたことなのではあるけれど。

母が電話をかけてきた。食事はちゃんと取ってるのかとか、衣類を送るからなどという、日常的でありふれた会話を二人は交わした。

頭痛がいっそう頻繁に起こり、今や悪夢が彼女を苛んだ。そんなとき彼女は、自分がただ何かを通り抜けているような気持ちがし始めた。この肉体に潜むのが何者なのか、自分でもはっきりと見当がつかなかった。自分の名前がばらばらになって単なる音の塊と化し、自分の耳にも全く奇妙に聞こえた。彼女は、教団の仲間やリーダーのところに戻りたくなった。教会の外部のありとあらゆるものはサタンが創ったものなのだ。教会の教えはどうだったろう?もう一度、子供に戻ること。自分の意見など顧みないこと。持てる知識なんかみんな捨て去ること。それでこそ子供みたいな素直な心になれるというもの。

マインド・コントロールされていたのだ。

洗脳されていたのだ。

教義を叩きこまれていたのだ。

ふらりと扉から歩み出るみたいに、彼女が何も言わずにさりげなく脱出を試みたとき、やつらは壁に彼女を乱暴に押し付けた。全身にやつらの手が伸びた。韓国製のアクリル繊維が裂ける音が面白くて、ただそれを聞きたいがためにやつらが自分の服をずたずたに引き裂くのではないかと思えてならなかった。

 

『マオⅡ』

宗教画

最初に彼女の目に飛びこんできたのは、男たち、それに少年たちだった。ぎっしりと体を押し付け合い、群がる雄の集団。何千という群衆がテレビの画面を埋め尽くしている。スローモーションのように見えて、実はそうでないことは彼女にもわかった。リアルタイムの映像だった。肉体がひしめき合い、大海原で波に翻弄されるように体をうねらせ、振り上げられた腕が群れのあちこちに見える。テレビは様々な角度から肉体を映し出していた。半ば魅せられたようにどこか脇へ寄って立ち見している男たちが映る。後ろからどんどん押されてきては、フェンスに体を押しつけられ、身をこわばらせたとてつもない人の群れが視界に入る。ゆっくりとしたうねりと緊張が、恐ろしいまでにそこに映し出されている。この光景を何と表現すればいいのだろう。身悶えとでもいうのだろうか。カメラは、フェンスのちょうど外側から頑丈な鋼鉄製の金網越しに真っ直ぐ彼らを撮っていた。はるか後方には、巨大な人垣の上にほとんどののしかからんばかりの男たちの姿が見える。群衆の頭上を、肩の上をはっていく男が二人ばかり見える。人の群れがフェンスの方へと進み、フェンスの近くの人々が互いの体を押し付けあって、必死に身をよじっているのが見える。宙に振り上げられた捻じれた腕とゆがんだ顔が苦悶を物語る。次に、静かにそれを見守る男たちが映る。ショートパンツとジャージ姿の男たち。サッカー選手だった。サッカー用のハイソックスを履いて芝の上に立っている。ぎっしりと詰まった肉体が画面を覆い尽くし、フェンスに押し付けられた人々はほとんど身動きもままならず、じっと身をよじった姿勢を余儀なくされている。赤いひさしのついた白い野球帽をかぶった少年が目に入る。少年の顔には、なんて気持ちのいい日なんだ、学校帰りに寄ったのさとでも言いたげな表情が浮かんでいる。だが彼の周りでは人々がみな、身悶えするかのように体をよじり、口を開けてはだらりと舌を垂らして死んでいく。外国ではフットボールと呼ばれるサッカーというこの競技。大写しになったフェンスに目をやると、そこで画像が静止した。宗教画のようだった。構図といい、釣り合いといい、画面を被う受難の人々といい、観光地の教会にあるフレスコ画さながらの光景だった。女と少女の顔が目に入る。後ろに男の大きな手が見える。女の長い髪は濡れ、腕はフェンスの金網に押し付けられて捻じれている。少女は誰かの肘の下でもみくしゃになりながら締め付けられている。赤いひさしの白い野球帽の少年は群衆の真っただなかに立ち尽くし、目を閉じて今になって自分が罠にはまったことを悟る。その表情には絶望が読み取れる。心ならずものど輪で締め付けられ、腕を振り乱して彼女の方を驚いたように見つめる人々。それぞれの手がフェンスを掴もうと虚しく宙をもがく。男の大きな手。フェンスに背を向けた、デニムシャツ姿の長い髪の少年。よじった自分の腕の向こうに長い髪が隠れたあの女の顔。つややかなピンク色に塗った爪。まだ生きているのか死んでいるのか、目を閉じて舌をだらりと出しているまた別の女。彼女は、人々の顔に自分たちの置かれた状況を知っている絶望感を見て取った。静かに傍観する男たちが映る。遠くにフェンスが映し出され、その後ろに息も絶え絶えになって肉体が折り重なり、時折指ばかりが動く。そこにあるのは、古色蒼然とした陰鬱な教会のフレスコ画のごとき光景。当代きっての巨匠にしか描けぬ、死へと殺到する群衆の苦渋に満ちた姿。

 

『マオⅡ』

彼らは唱和する

師が唱和を先導する。万歳。増幅された師の声の残響に合わせて、祝福されたカップルたちはそろって唇を動かす。彼らの顔には、恍惚感と、崇拝するような痛みにも似た感覚がはっきりと浮かぶ。師こそ、あまたの災いを解きほぐし、再臨し給う主なのだ。その声は、愛と喜びを越えて彼らをさらに外へと誘う。布教という彼らの使命の麗しさをも越え、奇跡や滅却した自己をも越え、彼らをさらに外へと誘う。唱和する声には、その迫力ゆえに彼らに我を忘れさせる何かがあった。唱和しているという紛れもない事実と、それがもたらす一体感。彼らの声はますます大きくなっていく。彼らはその声に運ばれ、舞い上がり、また降下する。唱和の声の及ぶところがこの世の境界となる。そびえ立つスタジアムの斑なす影を背に、師が白く凍りついたように見える。師が両腕を挙げて万歳をすると、唱和する声はますます大きくなっていく。若者たちの腕が挙がる。師は、宗教と歴史を越えて彼らをさらに外へと誘う。今や何千人もが感激のあまり涙し、高々と腕を挙げる。彼らは、自分たちが切望した力によってぐいと掴まれたのだ。彼らにはすぐそれがわかった。彼らはみな、いっしょになってそれを感じていた。はるか太古より、生きとし生きるものの血に流れる切なる憧れ。これこそが、良識というものが朽ち果ててからずっと、人々が求め続けてきたものなのだ。唱和するこの声が、終末の時をさらに近づけ、この声こそが終末の時を告げる。彼らは、人間の声が持っている力を感じていた。一つの言葉が繰り返され、それがいっそう深く彼らを揺り動かし、一つにまとめ上げるその力を彼らは感じていた。彼らは唱和する。世界が崩壊するほどの恍惚感を求めて。あまたの予言と奇跡が紛いものではなかったことを求めて。彼らは唱和する。新たなる命と、永遠の安らぎと、孤独な魂の痛みが止むことを願って。野外ステージの人の群れが大きなドラムを打ち鳴らす。彼らは唱和する。一つの言語と、一つの言葉を求め、名前というものが失われるときが来ることを願って。

 

『マオⅡ』

不気味な物真似じみた口調

彼らは額のところに手を組んでひざまづき、深く頭を垂れ、胎児のように身を折り曲げて祈りを捧げた。

ワゴン車のなかでは、あらゆることが重大な意味を持ち、あらゆる言葉が深い意味を孕んでいた。時として十五、六人の女性信徒たちが窮屈に車に詰めこまれ、「ユー・アー・マイ・サンシャイン」だの、「ロウ、ロウ、ボートを漕いで」などと歌いながら、集めるべき金の目標額を連呼したものだった。堕落したこの世は悪魔のもの。

七人からなるグループで、彼女は黄色いつぼみの花束を積み重ねた。七は完壁さを象徴する数だった。彼女は、片言英語でものを考えたのみならず、勉強会や教育集会のときに飛び交う声を模してしゃべった。そんな声色で彼女は、ワゴン車に乗り組んだ女性信徒たちに講釈を垂れた。花を売って目標を達成するのよ、現金を掴んでくるのよと、彼らの発破をかけた。だが彼らにしたところで、その不気味な物真似じみた口調に鼓舞されていいものやら、不敬のとがで彼女を密告すべきか、判断がつきかねた。

 

『マオⅡ』