子供同然

一陣の風が巻き起こり、ベイルをひらひらと舞い上げる。カップルたちは驚いて歓声を上げ、急に浮足立って滑るようにふわふわとした動きに身をまかせる。彼らは、自分たちがほとんど子供同然で、歓喜にいともたやすく染まってしまうことを思い知る。何はともあれ、彼らはある過去を分かちもっていた。カレンは、ワゴン車や窮屈な部屋で眠ったあんな夜をことごとく思い起こす。五時に起床して祈りを捧げ、それから自分の属する花売りチームの仲間と一緒に街へ繰り出したあの頃。ジュンという名の女の子がいた。自分がどんどん小さくなって、ほんの子供の大きさに戻っていくように感じている子だった。みんなにその子はジャネットと呼ばれていた。彼女の手では、アメリカのモーテルの化粧室に置いてある小型石鹸さえも掴めないのだ。だが、チームの他の者にとっても、それは別に理不尽なことのようには思えなかった。彼女は、実際にそこにあるものを見ていたにすぎなかった。塗装膜や、グルタミン酸塩といった物象の向こうに、捉えどころのない永遠の相を見ていたのだ。

 

『マオⅡ』

安易な信仰

花婿と花嫁が指輪を交換し、誓いの言葉を交わすと、大勢の観客たちが写真を撮りはじめる。通路に立ったり、手摺に群がって、家族の者がみな不安そうにシャッターを押している。彼らは反応を一つのかたちにし、記憶をまとめ上げ、眼前の光景を中和し、その不気味な力を払い除けようとしていた。師が朝鮮語で儀式の文句を唱える。するとカップルたちは列をなして壇の前を進んでいき、師から聖水を頭に降りかけてもらう。ロッジは、花嫁たちがベールを上げるのを見て、あわててクローズアップしてみたものの、眼前に繰り広げられる出来事からかえって疎んじられているように思えて気が滅入る。だが彼は、じっと目を凝らして思いに耽る。古き神がこの世を去るとき、未だ使い果たされざるすべての信仰心は一体どうなるのだろう?彼は群衆のなかのそれぞれの顔を眺めてみる。柔和な顔、丸い顔、長い顔、不似合いな顔、浅黒い顔、不器量な顔。彼らが安易な信仰という原理に基づいて一つの民族を成しているように、彼には思えてならない。ここにあるのは、盲信することによって一層奮い立つ集団なのだ。もはや彼らの口をついて出てくるのはちゃんとした言葉ではなく、お決まりの空疎な文句が繰り返し唱えられるだけのこと。ありとあらゆる事柄が、知り得ることの総和が、真実のすべてが、単純な二、三の決り文句に凝縮され、そっくり真似られ、頭に叩き込まれ、伝達されていく。そしてここに、型にはまって寸分も違わぬ機械的なドラマが、生きた人間によって演じられるのかと思うと、彼は空恐ろしくなった。ものごとを推し測る尺度や理解の欠如、愛とセックスが幾度も掛け合わされるあのさま、おびただしい数を成しながら統制のとれた群衆。こうしたことに彼は心底から恐怖を覚えた。刻まれた一つの彫像へと変容してしまったような人の群れ。ピューピューと笛を吹き鳴らしてやまぬ一万三千の部品でできた玩具のように、無邪気でありながら脅威を孕んだ存在。双眼鏡をのぞいたまま、今や彼は、軽い絶望感に苛まれつつも、どうあっても娘を見つけ出さなくてはと思う。あの子がどんな子だったか、思い出してみなくてはと思う。健やかで、頭の回転が早く、生真面目な二十一歳の娘。自分というものをちゃんと持っていて、想像力が豊かで、微妙な陰影に富み、やつらがどんなに頑張っても拭い去ることのできない複雑で繊細な個性の持ち主だったあの子。というよりも彼は、娘がそういう資質を持っていてほしいと願い、そう祈りながらも、群れなす彼らの祈りの力に不安を覚えた。古き神が去るときは、蠅であれ、瓶の栓であれ、何でも崇め奉られるのだ。恐ろしいのは、自分たちの必要しているものを与えてくれるからこそ彼らがあの男を信奉していることだ。あの男は彼らの切ない思いに答え、彼らから自由な意志や自分なりの考えというものを奪い、その重荷から解放してくれるのだ。

 

『マオⅡ』

肉体の理想的な落下運動

それってタロットカードの札の名前みたい、と彼女は思った。“落ちる男”。名前がゴチックで書かれ、身をよじるようにして嵐の夜空を落ちていく人間の姿が描かれている。

落下している最中の彼の姿勢については議論が沸き起こっていた。彼が宙吊りになっているときに維持している体勢のことである。これはある特定の男の姿勢を意図しているのだろうか?ワールドトレードセンターの北棟から落下しているところを撮影された男?頭を下にし、腕はわき腹にくっつけ、片脚を曲げていたあの男だろうか?ぼんやりと浮かぶタワーの柱のパネルを背景に永遠に自由落下の状態に置かれている男?

自由落下とは、物が大気中を落ちていく際、パラシュートのような抗力を加える道具をまったく使わない落下。地球の重力場のみに引っ張られている肉体の理想的な落下運動である。

彼女はそれ以上読まなかったが、この記事が触れている写真のことはすぐにわかった。テロ事件の翌日、新聞でその写真を最初に見たとき、ものすごい衝撃を受けたのだ。男がまっ逆さまになっており、その後ろに二棟のタワーが見える。タワーが写真の背景を埋め尽くしている。男が落ちていき、隣接する二棟のタワーがその背後にある。空に向かって昇っていくビルの側面、垂直の柱のストライプ。男のシャツには血がついていた、と彼女は思った。あるいは焼け焦げの跡が。そして、その背後に柱があるという、その構成の妙。近い方のタワー(これは北棟)は黒っぽいストライプ、もうひとつは明るいストライプ。そしてビルの並び方と巨大さ、男がほとんど正確に暗いストライプと明るいストライプの列のあいだにいるということ。まっ逆さま、自由落下、と彼女は思った。この写真は彼女の心に焼け焦げの穴を作ってしまった。神様、彼は落ちていく天使で、その美しさは身の毛のよだつほどです。

クリックすると、その写真が出て来た。彼女は目を逸らし、キーボードを見つめた。これは肉体の理想的な落下運動。

 

『墜ちてゆく男』

開けていようと閉めていようとどうでもいい

テリーはサンタフェかシドニーかダラスにいるのだろう。部屋で死んでいるのかもしれない。テリーは細長い部屋の奥の壁にある器具が何か気づくのに二週間かかった。「薄地」と「厚地」と書いてある器具で、部屋の逆側にあるカーテンを操作するのに使われる。内側の薄地のカーテンを開けるか、外側の厚地のカーテンを開けるか。テリーは一度カーテンを手で開けようとして、それから気づいた。外の世界に彼が知りたいと思うものは何もない。

 

金はそれほど問題にはならなかった。ゲームが問題だった。手の下のフェルトの触り心地、ディーラーが捨てられたカードを表向きにしてパックの底に回し、新たなカードを配る配り方。彼は金のためにプレーしているのではなかった。チップのためにプレーしているのだ。ひとつひとつのチップの価値にはぼんやりとした意味しかない。問題なのはチップという円盤そのものであり、その色だ。部屋の向こう端には笑っている男がいた。こうした人々が皆、ある日には死んでいるだろうという事実があった。彼はチップをレーキで集め、積み上げてみたかった。ゲームが問題だった。チップを積み上げ、目で数える。踊るような手と目の動き。彼はこうしたものと一体化していた。

彼は負荷をかなり重くした。力を込めてストロークした―腕と脚だが、おもに脚だった。肩が重荷に負けないように注意し、ストロークのひとつひとつに嫌悪を感じながら。周囲に誰もいないときもあった。おそらくトレッドミルを歩きながらテレビを見ている者がいるくらいだろう。彼はいつもローイングマシンを使った。彼はローイングマシンを漕ぎ、シャワーを浴びた。シャワーは黴臭かった。彼はしばらくしてジムに行くのをやめたが、そのうちまた行き始めた。負荷をさらに上げ、一度だけこんなことを考えた。本当にこんなことをしなくてはならないのだろうか?

 

『墜ちてゆく男』