アクロバットが始まるところで彼女の自己意識は終わった

ある日、彼女は例のフィギュアを偶然見つけた。咳止めシロップやクリップなどと一緒に、学校の机の引き出しに入っていた。教師の休憩室として使われているオフィスでのこと。彼女はフィギュアをそこに入れたことを覚えてもいなかった。恥ずかしい気持ちと言い訳する気持ちが血の中で衝突するという、よくある感覚に襲われた。忘れられていた物体が投げつけてくる非難に対し、体熱が上がる感覚。彼女はフィギュアを取り出し、牛跳び女のすっきりと開かれた動作に、前腕と手の細かく描かれた緊張に、何か際立ったものを見出した。こんな古いものは、どこか儀式ばった感じ、形のぎこちなさがあるべきではないか?これは滑らかに流れるような作品だ。しかし、その驚きを超えてしまうと、そこから知り得るものはほとんどない。彼女は古代ミノア人のことを知らなかった。このフィギュアが何でできているのかさえわからなかった。こんなに軽い模造の象牙とはいったい何か。彼女はふと気づいた。机の中にフィギュアを置いてきたのは、それをどうすればいいかわからなかったからだ。どう固定するか、支えるか。体は単独で空中に浮かんでいる。支えるものもなく、定められた位置もない。手のひらに置くのがぴったりに思える。

彼女は小さな部屋に立って、耳を傾けた。

エドマンドはこのフィギュアが彼女のようだと言った。彼女はそれをじっくりと見た。ほんのわずかな類似でも引き出そうとした。腰巻とリストバンド、そして二重に首輪をつけた女。走る牡牛の角の上、空中に浮かんでいる。この行為、跳躍そのものがヴォードヴィルのショーでもあり、神聖な恐怖を呼び起こすものでもある。この十五センチのフィギュアには、さまざまなテーマや秘密があり、そして物語化された言い伝えがあったが、カイルにはその手がかりさえ掴めなかった。彼女はその物体を手の中で転がしてみた。安易な類似がすべてはがれ落ちていった。しなやかさ、若さ、軽快さ、現代性。音を立てて走る牛と、揺れる大地。カイルとこの作品の中の精神とをつないでくれそうなものは何もなかった。紀元前一六〇〇年彼女から遠く離れた力によって動かされ、これを彫った象牙彫師の精神。彼女は古い粘土のヘルメス像を思い出した。葉の冠をつけたヘルメスは、我々の知り得る過去、共有された存在の舞台から彼女を見つめていた。ミノア人はこうしたものの埒外にいるのだ。ウエストが細く、優雅で、まったく別の精神を有している―言語と魔術の谷間の向こう側、夢の宇宙論の向こう側に失われたもの。これがこの作品のささやかな謎である。彼女はフィギュアを持った手を握り締め、その鼓動を肌に感じられるように思った。穏やかな規則正しい律動、大地との結びつき。

彼女はぴたりと動きを止め、頭を傾けて、耳を澄ました。バスが音を立てて通り過ぎた。窓枠の継ぎ目越しにディーゼルエンジンの煙霧が入ってくる。彼女は部屋の隅を見つめ、じっと集中した。耳を澄まし、待った。

アクロバットが始まるところで彼女の自己意識は終わった。一度そのことに気づいてからは、彼女はフィギュアをポケットに入れ、どこにでも持ち歩くようになった。

 

『天使エスメラルダ―9つの物語 象牙のアクロバット』