彼女はふらふらとさまよい、きりきり舞っていた。

ビルが失踪した今、カレンの生活は中心を失った。彼女はふらふらとさまよい、きりきり舞っていた。彼女がいなくなって、スコットはおよそ名状しがたい寂しさに襲われた。彼に残されたのは、彼女の肉体の記憶だけだった。いつまでも歳を感じさせないあの体の線と、リズミカルな腰の動き。次に迫りくることをほとんど恐れるかのように、虚ろな眼差しで身を弓なりにして捩じる彼女。だが、いよいよクライマックスとなると、雑音がどっと押し寄せ、彼の頭のなかでもはやその姿はマッチの光くらいに消え入るのだった。半ば彼女を憎みつつも、スコットは無性に彼女を取り戻したかった。彼女は、ある意味で愛の対象であり、いつもながら驚きの対象だった。夢のなかで妹のように思いながら、ふと目覚めるとベッドをともにしているような女。それでいて、こちらに何の気恥ずかしさも矛盾も感じさせない存在。床がきしる音が聞こえるたびに、彼女は武装した誰かに踏みこまれたような気がして、いつも言いようのない警戒心を抱いた。彼女はスコットによく言ったものだった。こっちの考えてることがばれちゃったら、私なんか誰からも相手にされないわ。そんな彼女に彼は言ってやった。どっちみち、僕たちは誰からも相手にされないのが落ちさ。これまでもそうだったじゃないか。考えていることが災いして、何かと敬遠されるんだ。まあ、こっちからそういうふうに仕向けたことも事実だけれどねと。リストの項目を実行に移していく心地よさ。古びた黒いタイプライターのキーは、長い間不安な指先でいじくり回され、汚れが染み着いていた。彼は湿した雑巾で一つずつキーを磨いていった。こうしたちょっとした使命を果たすことで彼は至福感に浸り、そうし続けることに誇りを感じた。

そびえ立つオフィスに立てこもるエヴァーソンからは、なしのつぶてだった。川で泳いでみせる毛。前の晩スコットは、テレビであるフィルムを見た。旅行者が中国の田舎で撮影したものだったが、そこには奇妙な光景が映っていた。それは中国のキリスト教のあるカルト集団が川のそばで営んでいる礼拝式を撮ったものだった。ちょうど集団で昇天の儀式が執り行われているさなかと見え、若い男女が腕を高く振り挙げ、川のなかへ歩んでいった。よろめき、渦に飲まれ、多くの信者は下流に流されていた。フィルムは、意識が混濁したように揺れ、異様と思えるほど主観的で、いかにも素人が無造作に撮ったようなぞんざいなところがあった。だがそれにしては、スローモーションやストップアクションが駆使され、川面に浮かぶ顔を撮った画面の輪が小さくなってフェイドアウトしては、また最初に戻ったりするのだった。人々はおおむね白い装束に身を包んで、二人ないし三人ずつ川のなかへ進んでいき、顔が見えなくなっても腕がまだ宙をもがいていた。われらがカレンにとっては、これはまさしく掘り出し物の映像だった。だが、それを見ようにもカレンはここにはいなかった。ふらふらとさまよい、きりきりと舞うカレン。スコットは壁に張りめぐらされた図表を眺めた。彼は、読書からの手紙を地域ごとに仕分けすることもできたし、その気になれば作品ごとに仕分けすることもできた。むろん、二つの作品のいずれにも言及している手紙もあれば、どちらにも言及していない手紙も山ほどあった。哲学的な内容やら、作家志望といった話やら、真剣な手紙もあればつまらない手紙もあった。ビルは自分の写真から姿をくらまそうとしていた。勝手に自分を病気に仕立て上げ、薬でコントロールしようとしたときと同じように、彼はこの忌々しい企てを自ら仕組んだのだ。

 

『マオⅡ』