対象を溶解し

彼女が、自分を魅了してやまぬその絵の前にたどり着くには、少々時間がかかった。カンバスに描かれたシルクスクリーンは、およそ縦五フィート、横六フィートだった。「ゴルビー一世」という題が付けられ、ソ連の大統領の頭部と四角い肩が、ビザンティン風の金色を背景に、表情豊かに古めかしく斑のタッチで描かれていた。肌はテレビのメイクアップを塗ったみたいに鮮やかな血色で、ブロンドの鬘か何かを被り、赤い口紅と青緑のアイシャドーが塗られていた。スーツとネクタイは深みを帯びた黒だった。思われている以上に、この作品はウォーホール的じゃないかしらとブリタは思った。パロディーだとか、オマージュだとか、コメントだとか、盗用だとかいったものを越える何かがそこにあった。画廊の周り数マイル四方にはウォーホールの専門家が六千と住んでいて、ありとあらゆることが話題にされ、ありとあらゆる議論が交わされてきたにせよ、彼女には、おそらくこの一枚の絵の中にこのうえないメッセージが読み取れるように思えた。それは、芸術家というものがいかに対象を溶解し、有名人というものが称揚されるかを物語っていた。おそらく他の六つのことに加えて、それは、いかにしてミハイル・ゴルバチョフのイメージと、マリリン・モンローのイメージを融合し、マリリンのブロンドのアウラと、死を思わせるアンディーの白いアウラを盗むことが可能であるかということを物語っていた。いずれにしても、その絵は滑稽ではなかった。やっとのことで彼女は部屋を横切って、写真に幾重にも彩色を施したこの奇抜な肖像をまじまじと眺めた。だが、そこにいささかの滑稽さもなかった。多分にそれは、ゴルビーが身を包んでいる葬儀屋みたいなスーツのせいだった。おしろいを塗りこめ、レモン・イエローに髪の毛をたらし、いかにも死を演出しているような化粧のせいでもあった。またそれは、まさしくマリリンの残滓のせいでもあり、アンディーの作品に脈々と流れるあらゆる死の魅惑のせいでもあった。ブリタは何年も前に彼の写真を撮ったことがあった。現に彼女が撮った写真の一枚は、マディソン街を数ブロック下がったところで開かれているある展覧会の壁を飾っていた。カンバスや、メゾナイトや、ビロードや、紙アセテートに描かれたアンディーの肖像。メタリック・ペイントで、シルク・スクリーン・インクで、鉛筆で、ポリマーで、金箔で描かれたアンディー。木版に、金属版に、ビニール版に、綿とポリエステルの混紡繊維に、彩色を施したブロンズに転写されたアンディー。モザイク写真や、連続写真や、染め絵や、ポラロイド印刷となって葉書や紙袋に刷りこまれたアンディー。狙撃されたアンディーの傷跡と、アンディーの工房。北京の天安門広場の巨大な毛の肖像の前で、ポーズを取る観光客のアンディー。「自分っていう人間の秘密は、ここに自分が半分しかいないことさ」と、彼はブリタに語ったことがあった。今や彼は、ここにそのすべてを曝していた。絵画という存在の鎖をを通して彼は再処理され、光沢を帯びたロシア人のまなこを通して人の群れを見据えていた。

 

『マオⅡ』