肉体の理想的な落下運動

それってタロットカードの札の名前みたい、と彼女は思った。“落ちる男”。名前がゴチックで書かれ、身をよじるようにして嵐の夜空を落ちていく人間の姿が描かれている。

落下している最中の彼の姿勢については議論が沸き起こっていた。彼が宙吊りになっているときに維持している体勢のことである。これはある特定の男の姿勢を意図しているのだろうか?ワールドトレードセンターの北棟から落下しているところを撮影された男?頭を下にし、腕はわき腹にくっつけ、片脚を曲げていたあの男だろうか?ぼんやりと浮かぶタワーの柱のパネルを背景に永遠に自由落下の状態に置かれている男?

自由落下とは、物が大気中を落ちていく際、パラシュートのような抗力を加える道具をまったく使わない落下。地球の重力場のみに引っ張られている肉体の理想的な落下運動である。

彼女はそれ以上読まなかったが、この記事が触れている写真のことはすぐにわかった。テロ事件の翌日、新聞でその写真を最初に見たとき、ものすごい衝撃を受けたのだ。男がまっ逆さまになっており、その後ろに二棟のタワーが見える。タワーが写真の背景を埋め尽くしている。男が落ちていき、隣接する二棟のタワーがその背後にある。空に向かって昇っていくビルの側面、垂直の柱のストライプ。男のシャツには血がついていた、と彼女は思った。あるいは焼け焦げの跡が。そして、その背後に柱があるという、その構成の妙。近い方のタワー(これは北棟)は黒っぽいストライプ、もうひとつは明るいストライプ。そしてビルの並び方と巨大さ、男がほとんど正確に暗いストライプと明るいストライプの列のあいだにいるということ。まっ逆さま、自由落下、と彼女は思った。この写真は彼女の心に焼け焦げの穴を作ってしまった。神様、彼は落ちていく天使で、その美しさは身の毛のよだつほどです。

クリックすると、その写真が出て来た。彼女は目を逸らし、キーボードを見つめた。これは肉体の理想的な落下運動。

 

『墜ちてゆく男』