ほかの人たちなんていないんだ

アミルはメッカに巡礼し、ハッジ(メッカ巡礼を済ませたイスラム教)になった―義務を果し、葬式の祈りであるサラト・アル・ジャナザを唱えた。これは、旅の途中で死んだ者たちとの絆を示すものだ。ハマドは取り残されたようには感じなかった。いずれまた別種の義務を果すことになるのだ。書物に書かれていない義務を果し、皆で一緒に殉教者になる。

しかし、一目置かれるためには、自分自身を殺さなければならないのだろうか?一廉の者となり、道を見出すためには?

ハマドはそのことを考えた。そしてアミルが言ったことを思い出した。アミルは明晰な思考をする。一直線の思考。真っ直ぐに、体系的に考える。

アミルは彼に顔を近づけてしゃべった。

俺たちの人生はあらかじめ決められているんだ。俺たちは生まれたその瞬間から、その日に向かって流されている。俺たちがこれからすることを妨げる神聖な法律は何もない。これは自殺ではない―その言葉のどんな意味においても、どんな解釈においても。これは古い書物に書かれていることにすぎない。俺たちは、すでに選ばれている道をたどっているのだ。

アミルを見ると、その人生が緊迫しすぎているのがわかる。あと一分も続かないのではないかと思われるほどだ。それは、彼が女とセックスしたことがないためだろう。

しかし、この点についてはどうなんだろう、とハマドは考えた。こういう状況で自分の命を犠牲にする男のことはどうでもいい。その男が道連れにする者たちの命はどうなるのだろう?

彼はアミルにその質問をしてみたいとは思わなかったが、最後には疑問をぶつけてみた。家に二人きりでいるときのことだった。

ほかの人たちのことはどうなんだい、一緒に死ぬ人たちは?

アミルは苛立った。そういう問題についてはハンブルクのモスクやアパートで話したじゃないかと言った。

ほかの人たちのことはどうなんだい?

アミルは、ほかの人たちなんていないんだと言った。ほかの人たちは、俺たちがやつらに割り当てた役目を果たすという程度にしか存在しないんだ。これが他者としてのやつらの仕事さ。死ぬやつらは、死ぬという有益な事実の外には、自分たちの人生なんてものを持っていないんだよ。

ハマドはそれに感心した。哲学のようだと思った。

 

『墜ちてゆく男』