ただの呻き声

彼女は当てもなく歩いた。百六十丁目を西に向かって歩き、理髪店やレコード店、果物市場やパン屋を通り過ぎた。南に曲がって五ブロック行き、右を見ると、古びた御影石の高い壁があった。その上を高架鉄道が通っており、通勤客を市の中心部に送迎している。彼女はすぐにローゼレン・Sのことを考えたが、なぜかはわからなかった。しばらく同じ方向に歩いて行くと、「大ハイウェイ悪魔祓い寺院」という看板のある建物に突き当たった。彼女は一瞬立ち止まり、その名前を頭で反芻した。そして入口の上の飾り立てた片蓋柱と、屋根の縁にある石の十字架に気づいた。正面の看板には寺院の活動が列挙されている―日曜学校、日曜早朝礼拝、金曜悪魔祓い、聖書研究。彼女は立ち止まって考え、アプター医師との会話を思い出した。ローゼレン・Sが自分の家を思い出せなくなった日についての会話。そのときのことがリアンに付きまとっていたのだ―物事が崩れていく瞬間の、息を呑むような感覚―道路が、名前が、方向や位置のありとあらゆる感覚が、そして固定した記憶の網の目がバラバラになっていく。いま彼女はなぜローゼレンがこの街路に潜んでいるように思われるのかを理解した。この場所なのだ、ハレルヤを叫ぶような名の寺院にローゼレンは逃げ込み、助けを求めたのだ。彼女は立ち止まって考えた。そしてローゼレンの言葉を思い出した。彼女が出席できた最後のセッションでどんな言葉を使っていたか。いかにひとつの単語を様々に拡張し、発展させたか―あらゆる活用形や連結語を使って。それはおそらくある種の防衛手段だったのだ。最後の空白の状態に対抗するための蓄積―その最後のとき、最も深い呻き声は悲観の声ですらなく、ただの呻き声になる。

私たちはさようならというのかしら。そう、行く、行きます、行けば、最後に行った、これから行こう。

これしか彼女には思い出せなかった。ローゼレンが最後の紙に書いた、ぐにゃぐにゃの文字。

 

『墜ちてゆく男』