いまだかつて生きたことすらなかった

そのころ文江はどこかを歩いていた。あてどもなく歩いていた。言い知れぬ不安が彼女の心を締めつけていた。今自分がどこにいるのか、急にわからなくなってからもう何時間が過ぎただろうか。新宿周辺、と思った次の瞬間、足立区の工場地帯―それは彼女が通った中学校がある場所だった―が頭に浮かび、東京、と思ったとたん富山県の片田舎―数回訪れたことのある高部の実家近くの道―の映像が脳裏に広がった。そういうことを何度か繰り返し、いくつかの街角を曲がっているうちに、文江の頭から次第に場所という観念が薄らいでいった。

その時はそれは別に恐ろしいものではなかった。ちょっとしたど忘れは誰にでもあり、うっとうしくはあったが特に気にするほどのことではないと思った。そのまま彼女はかなりの時間歩きつづけた。そして、急に気づいたのである。「私はいったいどこに向かって歩こうとしていたのだろうか」という根本的な問題に。それが昔通った中学校や夫の実家の方角ではないと確実に言い切れるものが、文江の心の中のどこを探しても見当たらなかった。

文江はあらためて自分の手に握られている物を見た。それはコンビニエンス・ストアの袋だった。私はコンビニに行ったのだ。そして今―自分のマンションに帰ろうとしている。かろうじてそれに気づいたが、そのことは文江にとって二重の恐怖を意味していた。「私は家に帰ろうとしていたことを忘れていた」という自分自身に対する驚きと、「その家がどこなのかわからない」というさらなる衝撃である。しかし文江がとりわけ恐れたのは、このまま立ち止まってしまうことだった。事態は歩き続けることによってしか解決されないばかりか、なぜかはわからないが文江は「立ち止まったら死ぬ」という思いに取りつかれていた。

それからさらに数時間彼女は歩き続けた。そしてどこかで見たような公園にもう五回も行き着き、とうとうその五回目に疲労困憊に達した。もはや一歩も歩けなかった。彼女はついに「死」を覚悟した。そして立ち止まった。この時もし彼女が時計を見たならば、針は午前一時あたりを差していただろう。近所のコンビニに行くために家を出てから四時間が経過していた。

立ち止まった彼女はもう何もかも放棄して、ただ待った。死が訪れるのと恐怖が過ぎ去るのを。しかし、予想に反して死がやってくる気配はなく、また恐怖が消えてゆく兆候もなかった。彼女はとうに「この場所はどこか」と考えることをやめており、その現実感を欠いた目線でぼんやりと、黒いうっそうとした樹木や銀色の滑り台を見つめた。そして次のような思考が渦を巻いた。

「この樹木や滑り台は果たして本当に世界の一部なのだろうか」「私がどうして今まで世界というものの存在を信じて疑わなかったのかがわからない」「世界はひょっとしたらないのかもしれない」「そうだ、ずっと前からわかっていたのだ。世界はやはり、ない」「それでも世界があると定義するなら、そんな世界にとっては私自身こそがない。ゆえに、今まさに私は死につつあるのかもしれない。いや、真実はこうだ。私はとうに死んでいる、いまだかつて生きたことすらなかった」

 

『CURE[キュア]』