ゴミ処理

我が家では、清潔で安全で衛生的なゴミ処理を目指していた。我々はまめにコーンフレークの箱からパラフィン紙を剥ぎ取った。まるで死と埋葬に備えてファラオの体を清めるみたいに。我々は細かい物事を正しくこなしていきたかった。

 

子供たちがまだ幼かった時、俺はよく言ったものだ。一度ならず俺は彼らに言って聞かせた。これが座金、これがパッキン、これが飲み口。

 

ブロンズ色の高層ビルから俺は焦げ茶色の丘陵を眺め、しっかりと守られている気分に浸った。ぱりぱりのシャツを着て自分のオフィスに座ると、俺は安全で、自分を補強してくれる物事と繋がっているように感じるのだ。

 

ブロンズ色の高層ビルで、我々は差別を受けた少数派のレトリックを使い、企業利益を損なう規制を阻止しようとする。真の感情は巷から上へ上へと昇ってくるものなので、企業としてもフルに活用できる、それが我が社の取締役会長アーサー・ブレッシングの信念だった。俺たちはいかに不平を言うか、いかにに犠牲者の言語を私物化するかを学んだ。アーサーは毎朝カーラジオでギャングスタ・ラップを聴いた。猛り狂い、女とやり、復讐し、本来自分たちに属するはずのものを必要とあらば暴力的な手段で奪回するといった歌。こういう形式によって語りかけない限りワシントンの連中にはインパクトを与えられない、彼はこう信じていた。かつて社用機に乗ったときアーサーは俺に向かって歌詞をそらんじて見せ、俺たちは一緒になって、彼特有の笑い―区切りのはっきりした「ハッハッ」―を真似て笑った。明瞭に、ゆっくりと、充分に間隔を置いて、喋るように笑った。

 

プラスチックから蓋やキャップを取って始末するのは火曜日だけだ。「ゴミ(ウエイスト)」とは面白い言葉で、その語源は古英語や古ノルド語を経てラテン語までさかのぼることができる。派生語には「空虚」、「虚空」、「消滅」、「荒廃」といった言葉がある。

 

マリアンと俺の目には商品がゴミとして映った―商品を買う前、商品がまだ光沢を放ちながら陳列棚に並んでいるときでさえ。これを使ったらどんなキャセロールができるか、などという話はしなかった。これってどんなゴミになるんだろう?安全で、清潔で、コンパクトで、簡単に処分できるゴミになるのかしら?パッケージはちゃんとリサイクルされて、黄褐色の封筒になって戻ってくるのかしら(あの封筒って、舐めて閉じようとしてもなかなかくっつかないんだけど)?俺たちはまず最初にゴミを見るのであって、商品を食べ物だとか、電球だとかフケ用シャンプーなどとして捉えるのはその次だった。ゴミになったときどれくらいかさばるだろうか、と俺たちは問うた。もし商品の包装が百万年も残るとすれば、そのようなものを食べるのは果たして責任ある行動といえるだろうか?

 

俺は宇宙服を着た男たちが核廃棄物の入ったドラム缶を埋めていくのを眺め、その下の生きた岩石、地底の活動、半生命、原初の半分の数まで減少していく原子のことを思う。ウランの原子核が中性子によって衝撃を与えられ、そこから生み出されたプルトニウムが「核分裂」する―分裂した原子が放つエネルギーを動詞として使うなら。ウランの原子核の質量数は238.それぞれの数字を足せば十三になる。

 

『アンダーワールド 上 のっぽのサリー』