死の勝利

ボックス席では、J・エドガー・フーヴァーが肩の上に落ちてきた雑誌のページを掴み取る。最初、彼は自分の体がこんなものと接触したことに当惑する。しかし、彼の眼はそのページに釘づけになる。それは中世の絵画のカラー写真、死者や死にゆく人々で満ち溢れた、荒廃と破滅の黙示録的景観。こんな絵を見るのは初めてだった。この絵はページ全面を覆い尽くし、ほとんど、雑誌そのもののトーンを支配している。赤茶けた大地を、骸骨の軍隊が行進していく。槍の先に突き刺さった人々、絞首刑台からぶら下がった人々、裸の木のてっぺんに据えられた車輪に磔になる人々、鴉についばまれる屍体。棺桶の蓋を盾にして死者の軍隊が整列する。死神自身もあばら骨が剝き出しになった老馬にまたがり、血を求めて大鎌を振りかざす。そして苦痛に喘ぐ人間の群れを、地獄の顎門に見えるところ―地下鉄のトンネルか役所の通廊と見紛うような、奇妙なまでに今風の建造物―めがけて追いつめていく。背景には灰色の空と焼け落ちる船。このページが『ライフ』からのものであることは明らかだったから、彼は怒りを呼び覚まそうとする。『ライフ』という名前の雑誌が、なぜこんなどぎつく忌まわしい絵画を掲載したりするのか。彼は自問を繰り返しつつも、ページから目を離すことができない。

 

エドガーは解説文が載っているページを読む。フランドルの画家ピーテル・ブリューゲルによる十六世紀の作品で、『死の勝利』と呼ばれている。

ムカつくタイトルをつけたもんだ。しかし彼は興味をそそられる、それは自分でも否定しようがない―左のページはことによると右のページよりもよくできている。

彼は骸骨が積み上げられている二輪の荷車をじっくり眺める。通路に立ちつくしたまま、その絵を隅々まで吟味する。裸の男が犬の群れに追われている。死んだ女が抱く赤子を瘦せこけた犬が齧っている。飢えて痩せこけたひょろ長い猟犬、軍犬の群れ、地獄の番犬、墓場をうろつく猟犬、どれもみなダニにまみれ、腫瘍と癌細胞によって体中が蝕まれている。

病原菌とは無縁の我らがエドガー、ほんのわずかな埃をも抹殺するために自宅に空気清浄設備を備えている男。彼が腫瘍、外傷、ただれていく肉などに魅せられるのも、あくまで絵の世界での出来事だからだ。

彼は別の死んだ女が骸骨に馬乗りにされているのを画面中央のあたりに見つける。体位が性的なものであることは疑いようがない。だが、馬乗りされているのは本当に女なのだろうか、それともひょっとして男じゃないのか?彼は通路に立ちすくんでいる。周囲では群衆が歓声を上げているが、彼は目の前にそのページを掲げている。この絵には何か鬼気迫るものがあって、それが彼の注意を惹く。そうだ、死者が生者の世界に襲いかかってきたのだ。しかしそこに描かれた生者たちはみな罪人であることが徐々に分かってくる。トランプ賭博に興じる者たち、いちゃつく恋人たち、財宝を隠し込んだ大樽近くにはアーミンの毛皮をまとった君主がいる。死者たちは葡萄酒の入った瓢箪を空にし、食卓につく貴族たちに大皿に載った髑髏を供そうとしている。彼はそこに飽食、肉欲、強欲を見て取る。

エドガーはこの絵が気に入る。エドガー、ジェドガー、認めろよ、好きなんだろ。この絵を見ると体中が総毛立つ。か細い一物を持った骸骨たち。ティンパニを打ち鳴らす死者たち。喪服をまとった骸骨が巡礼者の喉を搔き切っている。血肉の色に似たさまざまな色彩と黒山なす死体、むごたらしい死に様の集大成だ。左のページを見ると、画面のずっと奥、岬の遥か彼方で空が赤黒く燃え上がっている。死はほかの場所にも姿を現し、煉獄の炎は至る所で燃え上がり、恐怖が大地を支配している。幾羽もの鴉が宙を静かに滑っている。大鴉が一羽、白い老いぼれ馬の臀部にとまっている―その鮮やかな白と黒。そして彼はカザフの核実験場にぽつんと佇んでいる観測塔、あの核爆弾の設置された塔のことを考える。中央アジアのステップ地帯を吹く風の音が今にも聞こえてきそうだ。敵は長い外套に毛皮の帽子という出で立ちで生活し、あの由緒ある重苦しい言語、厳粛でしかつめらしい響きを持った言葉を話している。彼らはいったいどんな秘密の歴史を書いているのだろう?まず爆弾そのものの歴史があり、次に爆弾が喚起する秘密がある。それがどんな秘密なのかは長官にも見当がつかない―西側世界の腐敗した秘密すべてを自身の胸の最奥に秘めているこの長官にさえ―なぜならこうした陰謀はいま生成し始めたばかりだからだ。長官にわかっているのは次のことだけ。すなわち、素粒子や放射線の示す物理的特性ばかりが爆弾の真髄ではない。新しい秘密を生み出す契機という点にもその真髄はある。大気中で各爆弾が爆発するたびに、あの剝き出しになった奇妙な眼球が砂漠上空で爆発するたびに―何百もの陰謀が地下に潜行し、増殖し、もつれ合うのだ。

「彼ら」と「我ら」を繋ぐものは何なのか?この神経回路のような迷宮の中にどれだけの絆を見つけることができるのか?敵を憎むだけでは充分ではない。こちらと敵とがいかにして互いを完成へと高め合うのか、それを理解しなくてはならない。

老いぼれた死者たちが新しい死者たちを犯している。棺桶を地面から引き上げている死者たち、丘の中腹では、死者が古ぼけたでこぼこの鐘を鳴らしている。全世界の罪業に対する鐘の音。

彼はしばし目線を上げる。顔からページを下す―やっとの思いで―そしてグラウンドにいる人々を眺める。幸福でぼうっとなった人々。スコアを叫びながらベースからベースへ走り回る人々。興奮のあまり今夜は眠れそうもない人々。自分の応援するチームが負けた人々。負けた側をおちょくる人々。これから家路に急ぎ、息子たちに今日見たことを語り聞かせる父親たち。チェリー入りのチョコレートと花束をみやげに持ち帰って妻たちをびっくりさせる夫たち。クラブハウス前の階段に集結して選手たちの名前を大合唱するファンたち。帰宅途中の地下鉄車内で殴り合いの喧嘩を演じることになる人々。叫びまわる人々に暴れまわる人々。二塁近くでばったり再会した旧友たち。至福の喜びで今宵街中に灯をともす人々。

 

立ち去りがたい様子の観客たちが数千人、客席に居残っており、グラウンドに出ている人々―あてもなく流れ渦巻く人々、群れから単独で飛び出す人々―をじっと眺めている。エドガーは右中間のフェンスにぶら下がっている者がいるのに気づく。こういう高いフェンスからグラウンドへ飛び降りる男たちは、必ずしばらくぶら下がってから手を離す。彼らは地面に着地し、ぐしゃっとつぶれ、ゆっくり立ち上がる。しかしエドガーの心を惹きつけるのは、男たちがぶら下がったまま静止しているときのドラマ、その時の心の迷いから来る恐怖である。

 

一団は出口の方へ進み、エドガーがしんがりを務める。ふとグラウンドを振り向くと、また外野のフェンスから飛び降りようとしている男が目に入る。長さの不均一な四肢と髪の毛とはためく袖。この一瞬の光景にはなにか亡霊を思わせるものがあり、見る者の背筋をゾッとさせ、頭をカッとさせる。エドガーの片手は釣られるようにポケットに滑り込み、そこに隠された荒涼たる絵画に触れる。

 

『アンダーワールド 上 死の勝利』