二十世紀の正体

映画が終わると、数人の学生がヒトラー暗殺の陰謀について質問した。討議は一般的な陰謀論に移っていった。気がつくとわたしは集まった学生たちに話しはじめていた、「すべての陰謀は死に向かう傾向にある。これは陰謀の性質だ。政治的な陰謀、テロリストの陰謀、恋人たちの陰謀、物語のなかの陰謀、子供たちのゲームのなかにある陰謀。我々は陰謀をめぐらすたびに、死へしだいに近づいている。それは陰謀のターゲットになる者と、陰謀者の両方がサインしなければならない契約のようなものだ」

これは真実だろうか?なぜわたしはこんなことを言ったのだろうか?これはどういう意味なんだろうか?

 

一週間に二晩、バベットは町の反対側にある会衆派教会に行き、成人を対象に地下室で正しい姿勢について講義をする。基本に立ちかえって、彼女は彼らに、どのように立ち、坐りそして歩けばいいかを教えている。受講者達の大部分は年寄りだ。わたしには彼らがなぜ姿勢をよくしたいのかわからない。わたしたちは正しい訓練の規則に従えば、死を避けることができると信じているようだ。時にはわたしも妻と一緒に教会の地下室へ行き、彼女が立ち、回転し、さまざまな躍動感のあるポーズをとり、優雅な身振りをするのを見学する。彼女はヨガや剣道や瞑想歩行をとり入れる。スーフィ教の托鉢僧や登山家を助けるシェルパについて話す。年寄りたちはうなずき、聞き入る。異質なものは何もないし、応用できないほどかけ離れたものもない。わたしは彼らの受諾と信頼、信じやすさにいつも驚く。彼らは悪い姿勢だったこれまでの生涯から、自分たちの身体を取りもどしたいと思っているので、あらゆることが役立つと思っている。

懐疑論の終焉。

 

『ホワイト・ノイズ 一章 波動と放射』

 

わたしはオブザーバトリーと呼ばれている小さなドーム型の建物へ歩いていき、仕事ぶりに定評がある若い神経科学研究員の、ウィニー・リチャーズにその錠剤を手渡した。彼女は背が高く、内気でひっそりとした女性で、誰かがおかしなことを言うとすぐ赤くなった。ニューヨークからの移住派連中には、彼女の小さな研究室に立ち寄り、ひとこと猛烈な言葉を浴びせて、彼女の顔が真っ赤になるのを見にくるものがいた。

ウィニーはヒルでは、人に見られずにある場所からほかの場所へ動いていけることで知られていた。誰も彼女がどうやってそんなことができるのか、なぜそんな必要があるのか知らなかった。たぶん彼女はツルのようなかっこうで、ウサギが跳ねるように歩く、自分のぶかっこうな体躯に自意識過剰だったのかもしれない。たぶん彼女は空間に病的な恐怖心を持っていたのかもしれない、大学の空間といってもほんのこぢんまりとして、古風な趣のあるものだったのだが。多分人間とものの世界は彼女にとって衝撃が強すぎるし、荒っぽい、むき出しの身体から発散される―それでほんとうに彼女は赤くなるのだが―力に悩むので、彼女はなるべく接触を避ける方がいいと思ったのだろう。たぶん彼女は優秀だと言われることに疲れていたのかもしれない。いずれにしろわたしは彼女がその週ずっとどこにいたのかわからなかった。彼女の姿を芝生の上でも歩道でも見かけなかったし、いつ行ってみても彼女の研究室はからだった。

その午後わたしはウィニー・リチャーズがオブザーバトリーの横のドアから抜け出て、小さな芝生をウサギが跳ねるように歩いて、新しい建物へ行くのを見かけた。わたしは急いで研究室を出て、彼女のあとを追った。彼女は壁際にそって、大股で歩いていた。わたしは、危険にさらされた動物か、イエティかサスクォッチといった、驚くべき半人間を発見したような、重大な場にいあわせた感じがしていた。空は冷たくてまだ鉛色だった。わたしは駆け足をしなければ彼女に追いつけそうにないと思った。彼女は急いで教授館の後ろをまわっていったので、わたしは彼女を見失うのではないかと思い、歩調を速めた。走るのは奇妙な感じがした。わたしは長いあいだ走ったことがなく、こんな慣れないことをやって体調がどうなるか分からなかったし、足元が、固くでこぼこだということもわかっていなかった。角を曲がって、スピードをあげた。大きな塊が浮いているようだった。上、下、生、死。わたしのガウンは後ろにはためいていた。

 

「わたしから隠れていたのかね?」とわたしは聞いた。

「メモと、電話でことづけといたんだが」

「あなたからではないわ、ジャック。それに特別に誰からでもないの」

「じゃあどうしてきみを見つけられなかったんだろう?」

「それが二十世紀の正体じゃないかしら?」

「何だって?」

「誰もその人たちを探しているわけではないのに、みんな隠れて歩いている」

「きみはそれが真実だと思っているの?」

「そうね」彼女が言った。

 

彼女はドアの方に向かってすばやく目を向けだした。

彼女の目は明るくなったが何かを恐れていた。わたしは廊下で物音がするのに気がついた。人声とすり足の音。わたしはウィニーがドアの方へ後ずさりするのを見ていた。わたしは彼女がもう一度赤くなるのを見ようと決めた。彼女は腕を後ろにまわし、ドアの止め金をはずし、くるっと振り向くと、灰色の午後のなかへ走り去っていった。わたしは何かおもしろい言葉を思いつこうと考えていた。

 

『ホワイト・ノイズ 三章 ダイラーの宇宙』