何もかもウソと芝居よ

お呼びですか

ヴォーグレルさんに会った?

まだです

看護してもらう前に事情を説明しておくわ 彼女は女優で「エレクトラ」に出演中だった 舞台の途中で突然口をつぐんでしばらく黙ったまま 本人の言い訳は“笑いそうになったから” 翌日劇場での練習に現れなかった 家政婦が部屋に行くとベッドの中で問いにも答えず身動きもしない 3ヶ月間そのままであらゆる検査も受けた 精神的にも肉体的にも全く問題はなかった ヒステリー発作でもない 何か質問は? なければ患者の病室へ

こんにちは 今日からお世話をするアルマです 自己紹介しますね 25歳 婚約中です 2年前看護婦の資格を 実家は農場です 母も昔は看護婦でした 夕食はレバーとサラダ おいしそうですよ 頭を高くしなくていい?

アルマ 患者の印象は?

妙な感じです 穏やかな顔つきなのに目だけは違った 射ぬくような それで…

何なの?

看護の自信がありません

怖いの?

もっと年長で経験豊富な看護婦のほうがよいかと 私では未熟すぎます

どこが?

心が

心が?

彼女の症状が病気でないとすれば意図的です

それで?

並外れて強い意志です 私には対処できません


いやだ なぜこんなに胸騒ぎがするの? 不安なの? カール・ヘンリックと結婚して子供を作る 悩む必要などない 決めたことよ 幸せよ 仕事もやりがいがある 幸せなのよ 喜ばなきゃ そう 私は幸せなの 彼女に何があったの? エリーサベット・ヴォーグレル エリーサベット


開封してあげるわ どうする? 読みましょうか “愛するエリーサベット 会えないので手紙にする 迷惑なら破り捨ててくれ どうしても書かずにはいられない どうしても知りたい 知らず知らずのうちに君を傷つけたのか 夫婦の間に誤解があったのか” 続けていい? “私は夫婦仲も円満だと思っていたし幸福だった 君は以前結婚の意味が分かったと言っていたね 夫婦と…” 読めないわ “夫婦というものは2人の臆病な子供が寄り添うのに似ていると 心は善意と優しさに満ちている だが… だが見えない力に操られていると 君はそう言った 森を散歩していた時に私を引き止めて…” 写真が入ってるわ 息子さんの写真みたい 見たい? かわいい子ね


これ以上病院にいても無意味だと思うの むしろ害になる アルマと一緒に私の別荘で療養しなさい 気持ちは分かるわ 本当の自分でありたいと思っているのね いつも自意識に縛られている 他人の目に映る自分との大きなギャップ “さらけ出したい”という激しい欲望 裸にされ切り裂かれ無になってしまいたい 何を言ってもウソになりあらゆる仕草が演技 自殺する? それは誇りが許さない でも身動きせず沈黙すればウソをつかずに済む 自分を外界から守れる もう心にもない演技をしなくてもいい 違う? でも現実は非情よ 割り込んでくる現実を完全には遮断できない 無視できない 誰もあなたの真の姿など気にかけてくれない 安心できるのは演技している時だけ だからこそわざと口をつぐんだのね 自分の弱さを逆手に取った 尊敬するわ 気が済むまで芝居を続けなさい いずれ飽きればやめるはず 今までもいろんな役に飽きたように


手を比べるのは不吉だわ 私の本を読んであげましょうか 邪魔なら言ってね “人間の持つ不安 かなわなかった夢や残酷さ 死への恐怖 耐えがたい現世の苦悩が来世の救済という希望を打ち砕く 闇と沈黙を前にして信仰は揺らぎ神に見捨てられたと感じる 震えながらそう悟る” どう思う? 私は反対よ 私は今のままで満足なの 反省はしてる よくカールに叱られたわ “君は野心がなさすぎる”と でも試験では優等よ 関係ないわね よく思い出すことがあるの 年老いた元看護婦の施設のことよ 一生看護婦の制服を着て働き通した人たちよ 何かに人生を捧げるってすばらしいわ 信じるものがあるんだもの きっと生きがいを感じられる 何の疑いも持たずひとつの道を進む そういう生き方っていいと思わない? 私もそんなふうに生きたい どしゃ降りね


奥さんがいると知ってて5年つきあったけど彼が逃げたの 彼を心から愛してたけど長い拷問のようだった 幸せな時もあったけど… 彼はヘビースモーカーでいつも吸ってたわ 今にして思うと三文小説みたい 本物の愛じゃなかった 何て言うか偽物の私だった 苦しみは本物よ 苦しみがすべてだったと言えるかも つらかった 言葉までもが いつも人の話を聞かされる役だったの 耳を傾けてくれる人は誰もいなかった あなたが初めてよ こんな話より読書をしたいでしょ 話し続けても怒らない? いい気分 こんなに満たされた気分は初めてよ お姉さんみたい 兄ばかり7人もいて私は末っ子 男に囲まれて育ったの 男は好きよ 女優さんなら分かるでしょ カール・ヘンリックのことは心から愛してるわ 看護婦をしていると誘惑も多いけどね 彼と海辺に滞在した 6月に2人きりで 彼が町に出かけたので1人で海へ いい天気だった 友達が来ていたの カテリーナという女の子よ 一緒に日光浴をしたわ すっ裸で浜辺に横たわった 眠ったりオイルを塗ったり 2人の頭には安物の麦わら帽子 青いリボン付きよ 帽子のつばの下から青い海とまぶしい太陽をじっと見つめていた 突然岩の上に2つの人影が見えた こっちをのぞいてた “男の子が見てる”とカテリーナに言うと彼女は“見せてやりましょう”と ドキドキしたわ 逃げたいのをこらえてじっとしていた 裸で腹ばいになったまま身動きもしなかった カテリーナの胸と肉づきのいい脚が見えた 彼女はクスクス笑った 男の子たちは近くに来て私たちを眺めたわ まだほんの子供よ やがて度胸のある1人がカテリーナの隣にしゃがみこんだ 自分のつま先をいじるフリをしてた どぎまぎしているとカテリーナが言った “こっちへいらっしゃいよ” そして少年の服を脱がせ彼が体に覆いかぶさると腰をつかみ挿入させた もう1人はただ見てるだけ カテリーナの笑い声がした 少年の顔を見ると真っ赤になってた だから私言ったわ “こっちにも来て”と 彼はカテリーナから離れると私のほうに来てどさりと体を乗せて痛いほど乳房をつかんだ 私はあっという間にイッたわ “外で出して”と言う暇もなかった 彼が射精した時精子を植え付けられたと全身で実感したわ 彼と一緒に何度も絶頂に達した カテリーナが後ろから彼を抱いた 彼の指先を使って激しいオルガスムに達しあられもなく絶叫した そして3人で笑った もう1人の子はピーターという名よ 放心したように見てた カテリーナがズボンを脱がせ口を使って射精させた 彼がのしかかると両手で顔を挟んで乳首を吸わせた もう1人と私も興奮してまた絶頂に 泳いでから別荘に戻るとカールが帰っていた 一緒に食事をしてワインを飲み愛し合った あんな興奮はあの時だけよ 分かる? そして私は妊娠 カールの友人の医者が堕胎手術をしたわ 子供は欲しくなかったの でも今は… 分からない 今でも分からない あの時の私は何だったのかしら 普段の自分の理性がどこかに消えてしまう 私に中に2つの人格があるのかしら いやだわ バカみたい 今さら泣き言なんて… 鼻をかませて もう朝ね まだ雨が降ってる 1人でしゃべり続けてごめんなさい 私の身の上話なんて退屈でしょ うらやましい この間あなたの映画を見たあとで鏡の中の自分を見て“似てる”と思ったの 美しさではかなわないけどもっと頑張ればあなたになれるかも 内面の話よ 私になるのは簡単ね 入れ物が小さすぎてあふれるかしら

テーブルで寝ると体によくないわよ

このままだとテーブルで寝ちゃいそう 体に悪いわ おやすみ


エリーサベット ゆうべ話しかけた? 寝室に来た?


投かんしてくるわ ちょうだい じゃあね

“こんな静かな生活を送るのが夢だった 傷ついた心が息を吹き返すみたい アルマはとても献身的よ とはいえ彼女も楽しんでいるみたい どうやら私を崇拝してるようなの 観察するのは面白いわ 過去を嘆くこともある 見知らぬ少年との乱交や堕胎の話 自分は理想と行動が裏腹だと”


戯曲の本? 回復の兆しね そろそろ町に戻りたいわ あなたは? お願いがあるの どうしても頼みたいの 簡単なことよ 話してちょうだい 話題は何でもいいわ 今夜の夕食のこととか今日の海は泳ぐには冷たすぎるとか 少しでいい 本の朗読でもいいから話してちょうだい いやなのは分かるけどあなたの声を聞きたいの ひと言だけでも構わない 拒むのね 冷たい人だわ 芸術家の心は温かいものだと信じてた 人を助けるために創造するのだと バカだった 私を利用して用済みになれば捨てるのね さぞいい気味でしょう 私の言葉も何もかも自分のために利用した ひどい人 陰で笑ってたのね 先生への手紙よ 封が開いていたから読んだわ 秘密をしゃべらせて喜んでたのね 観察して楽しんでたのね 弁解できるものなら言ってごらんなさい

やめて!

おびえたわね 一瞬だけ本心から恐れた “アルマが変になった 殺されてしまう”と あなたは何者なの この期に及んでも観察する気? 私を怒らせて反応を見ているわけ? おかしい? 私にとっては笑い事じゃないわ それでもおかしい? どうしてなの ウソをつかず真実だけ語ることが大切? 本心なんか口に出さずウソをつくほうが簡単だわ 深く考えずに生きるほうがずっと楽でしょ あなたも怠惰になるべきよ 無理よね あなたにはできない相談よ あなたの心はひどく病んでいる 健康である演技をしているだけ 本性はお見通しよ 私ったら… エリーザベット ごめんなさい どうかしてたわ 許して 手紙を読んでしまってショックだったのよ つい打ち明け話をしてしまったから 酔っていい気分で思わず話してしまった 有名な女優に聞いてもらえてうれしかった あなたのためにもいいのではと思って ひとりよがりの思い込みだったわ お願い どうか許して あなたに嫌われたくない ケンカしたまま別れたくないの どうしても許す気になれないの? 自分のほうが偉いから? 分かったわ もういい


だらしない寝顔だわ みっともない口元 額には醜いシワ 涙の香りがする 首に傷があるわね 普段は化粧で隠すの?

エリーサベット

ご主人よ 何の用かしら 私たちの邪魔をしに?

エリーサベット 驚かせたね エリーサベット

違います

逃げないで 会いに来る気はなかった 話は先生から聞いた だが息子がどうしても君に会いたいと 私には理解できないんだ “愛してる”と言うことは別に悪いことじゃない

奥さんではありません

人から愛され心の絆ができれば不安が慰められ心の支えになる いろいろ考えたのだがうまく言葉にならない

昔と変わらず愛してるわ 私を失うのではないかと心配しないで お互いの心を知り愛し合っている 違う?

大切なのは結果ではなく努力だ 臆病な子供のように寄り添うことだ エリーサベット

あの子に伝えておいて ママも会いたがってると “家に帰るママのために贈り物を用意して”と

君がいとおしい 苦しいほどに どうすればいいのか…

優しく抱きしめて

私に抱かれていると満たされるかい?

ええ とてもいい気持ち

愛してる

お願い 殺してちょうだい 耐えられない もう私には構わないで どうしようもなく冷たい女なのよ 何もかもウソと芝居よ


エリーサベット それは? 何を隠してるの 見せて 破いた写真ね 息子さんの話を聞かせて 話してちょうだい では私から ある晩パーティーで夜を明かした時のこと 客の1人がこう言った “君は女としても女優としても最高だが母性が欠けてる” あなたは笑い飛ばした でもその言葉が心に引っ掛かり不安になった そこで夫とセックスして妊娠した でもいざ妊娠すると親としての責任や仕事の中断が怖くなった お産の苦痛を恐れふくらむ腹を恐れた でもうわべは幸せな妊婦を演じ続けた “今の君は美しいよ”と誰もが言った 何度か堕胎を試みたけど失敗した 赤ん坊への憎悪が育っていった “生まれないでくれ 死産ならいいのに 死んでほしい”と 大変な難産で何日も苦しめられようやく産んだ 泣きわめく赤ん坊にささやいた “このまま死んでくれ” 死ななかった 赤ん坊は泣き続けた あなたは息子を憎みそんな自分を持て余した 子供を親類に預けてようやく舞台に復帰した でも試練は続いた 息子は母に会いたいと言い続けた むげに断ることはできなかった 何とか愛情を持とうと努力したけれど会うたびに疲れ果てた どうしても自分の子を愛せない まとわりつく息子を殴りたくなった “なぜ邪魔するのか”と 息子の分厚い唇や醜悪な体 訴えるような涙目も煩わしかった 何を隠してるの 見せて 破いた写真ね 息子さんの話を聞かせて 話してちょうだい では私から ある晩パーティーで夜を明かした時のこと 客の1人がこう言った “君は女としても女優としても最高だが母性が欠けてる” あなたは笑い飛ばした でもその言葉が心に引っ掛かり不安になった そこで夫とセックスして妊娠した でもいざ妊娠すると親としての責任や仕事の中断が怖くなった お産の苦痛を恐れふくらむ腹を恐れた でもうわべは幸せな妊婦を演じ続けた  “今の君は美しいよ”と誰もが言った 何度か堕胎を試みたけど失敗した 赤ん坊への憎悪が育っていった “生まれないでくれ 死産ならいいのに 死んでほしい”と 大変な難産で何日も苦しめられようやく産んだ 泣きわめく赤ん坊にささやいた “このまま死んでくれ” 赤ん坊は泣き続けた  あなたは息子を憎みそんな自分を持て余した 子供を親類に預けてようやく舞台に復帰した でも試練は続いた 息子は母に会いたいと言い続けた むげに断ることはできなかった 何とか愛情を持とうと努力したけれど会うたびに疲れ果てた どうしても自分の子を愛せない まとわりつく息子を殴りたくなった “なぜ邪魔するのか”と 息子の分厚い唇や醜悪な体 訴えるような涙目も煩わしかった 違う 私はあなたじゃないわ 看護婦のアルマよ 私はエリーサベットじゃないのよ 子供も欲しい 愛せるわ でも私…


多くを学んだわ 私は負けない あなたのようには決してならない 取り込まれない 言葉は無力よ 言うだけなら何でも言える 悔やんでも無駄よ もう手遅れよ あなたはすべき時にすべきことをしなかった 私はあなたとは違うのよ 他人を見捨てずに忠告してあげるわ 苦しむ人に… あなたには何と言えば? 何と呼べばいい? 分からない 私たち? 私? 言葉は吐き気と苦痛をもたらすだけだわ あとについて唱えて 繰り返して “無” “無” “無”よ

無…

そうよ そう それでいいのよ


『仮面/ペルソナ』