別のもの

ミヒャエル・ハネケ セルジュ・トゥビアナ対談

1つの家庭に固着してある家族の断面を描いた2本の映画を撮った その後に視点を広げたくなり“かっこ付きの社会”の断面を描く映画を撮った それが目的だ 3部作を撮ることでほんの少し視点を変えてみたかった

3部作とは?

ポートレートだよ 私が生きている社会について 私が知っていることの “無関心の時代”と言われ続けて今や時代は… いや 今のは間違ってたな “氷河期に ついての3部作”だよ いつもその質問につきまとわれ話すのが嫌になった 私はうんざりしてる 人が監督や作品に貼り付けたがるラベルに 私は言葉で表現 できることよりもっと複雑な表現をしたい 3部作のテーマはお望みならコミュニケーションの不可能性と言ってもいい そのことは私自身の心の最も深い部分 に抱いている想念で私の映画は常にその問題に迫ろうとしている 人は会話する だが伝わらない 関係が近いとさらに悪い 近くなればなるほど話さない

“現実は断片だ”という考えが映画の構造にある 断片からでなければ現実は理解できない

断片からしか理解できない 日常的に経験してるよ 人は僅かしか見ずさらに僅かしか理解しない “メジャー映画”だけだよ 何もかも分かってると言い張るのはうんざりだね 20世紀の文学においても少なくとも20世紀後半には全体を知っていると主張してものを書く作家はもはや存在していない 誠実に物語れ るのは断片においてだけだ 小さな断片を示しその断片の総和が観客に向かっていささかの可能性を開く 個人の体験に基づいて考える可能性を つまり観客を挑発するのだ 感情や思考の機械を回転させる 始動させるのだ 音楽には1つの主題があり対立する主題がある それが音楽の構造だ その構造によってソナタの世界が開けていく それと同じだ ドラマツルギーを持つ作品 もちろん心理的背景も 観客はどう反応するか? 映画を作るときは常に観客の反応を意識すべきだ 私は典型的な誰もがよく知ってる断片を描きたい 知ってることと理解することは別物だ 映画は“全体”だと言われる ある人物はこうだと そうじゃない こうでもあり得る こうでもありこうでもない 矛盾がある それが人生の豊かさであり作品のイラつくところだ 人は作品の中で答えを与えられる ことに慣れてるが人生で答えが分かることなど決してない こうだろうと想像はできてもその想像は全く違ってる

映画は“示しながら隠す”と君は考えてる

示しながら隠せる それは映画の構造によるんだ 君がある状況である人物を示されたとする 君には状況しか分からない 状況は分かる “こういう状況だ”と言える 今はインタビューをしている状況だ だが君には分からない なぜ彼がそこにいるか なぜそんな話し方をするか それが映画の構造の秘密 あるいは義務なんだよ 矛盾を抱え込むことが 人生は豊かだという幻想を与えるためにね ドラマツルギーとして人は明晰な1つの方法を見つけたがる 人はある状況を正確に語るがそんな典型的な状況などありはしない 指差して“見ろ これだ”というような状況は それは“エクリチュール”の文学の仕事だ 納得のいくような典型的な状況を見つけるのはらしさがなくて…

何が?

つまりわざとらしくなく 時々は成功し時々は失敗する 危険だ だがたぶん…  生徒にはいつもこう話す “ビリヤードをするとき直接球を打つかクッションに当てるか” クッションに当てるほうがいい ドラマツルギーを持つ作品とは クッションで跳ねる状況だ わざとらしくなく説明的でも衒学的でもなく このセリフはアドリブじゃない 彼は話し始め今度は別の話に移りまた前の話に戻る  セリフの暗記は大変だ 特にある年齢を越すと

長回しだ

固定ショット 9分間の

挑戦し合うことも重要では? 監督と俳優が“現実”に挑む 映画の時間の中で現実をつかまえる 裏切らずに

もしシーンを中断すれば… たとえば卓球のシーンだ あの場面が情報として撮られてるのなら“青年が卓球をしてる 1分続く 終わり”だ 違う 場面はそれが持つ長さだけ続くのだ それによって人は別のことを理解する 構造の秘密とは長さだ 長さを見つけ出すこと 想像しながら私が観客ならこれを見てどう反応するだろうかと 私は卓球のシーンを見ている そして言う “もう分かった” 普通なら次のシーンだ 最初は楽しんでそのうち腹が立つ 次に飽きてくる  私は言う “先に進もう” そしてある瞬間見つめ始める それから呼吸するのだ シーンはそれが持つ長さだけ続く 難しいのはその長さだ この長回しでも別の作品の別のシーンでも同じこと それが秘密 音楽的な問題だ オーストリアの出来事でこの子と同じ年の少年がオーストリアに密入国した 一人で国境 を越え誰かに発見された それを記者たちが報道して結局事態は好転した その子には大宣伝になったわけだ 政府のお偉方は認めざるを得なくなったんだ 少年が養子になり国内に留まることを だが密入国して送還される何百人もの子供たちのことは語られない この事件が映画のきっかけだ マスコミ中が騒ぎ立てたその少年の物語が

驚いたのは少年がマンガを盗むこと 写真集を盗み撮るためにカメラを盗みそれに支えられる 映像の力に

少年の人生はそれほど快適じゃない 少なくともあの社会に流れ着いて彼が学んだのはそこは“美”があるということ 偽りの映像が 彼は当然社会に適応しようとする そこに参加しようとする その素晴らしき嘘に

君の作品にしばしば描かれているのは社会の重圧 そこに生きる人間 幸福はやって来ずもし来てもとても密やかだ 罪悪感があり重いテーマが… 君はそれを普通には描かない

そうだ それはとても単純な手法で暴力を描写しなければしないほどずっと暴力そのものを感じるのに似ている そして美と優雅さも… まあ好きに呼んでいいが 直接描写しないことでもっとそのものを感じることができる それらが存在するのは… この場合それを形而上学的と言ってもいい 思うにもし今日私がそれを… “美”を描こうとするならたちどころに嘘になる 唯一それを描写しないことで観客の反応を引き出すことができる 哲学者アドルノに私の大好きな言葉がある “芸術とは真実という嘘のない魔法である” これは芸術についての見事な定義だと思う それが何を表現してるか説明などせずに芸術に到達できたら… 私はよく自問する なぜかくも芸術作品と対峙すると幸福なのかと

特に音楽と?

特に音楽と だが同じように文学も映画も 芸術のない 人生など想像もつかない 何がこんな幸福感をもたらすのか? それは答えるのが難しい質問だ なぜなら… 神が存在しない時代にそれでもなお“別の世界” を希求しているということだから私が言うのは“天国”じゃない 別のイメージの世界だ それを描写しないことでその世界を喚起できる 描けばすぐに凡庸に なる あえて描きたければ間違った場所を指差すことだな それがその世界を喚起する最良の方法だ たとえば今ある神学の大学が私に関する2冊目の本を出す  彼らには私の映画が神学的に興味深いからだ それが偶然とは思わない だが宗教とは? 私はカトリックでもなければ…

信者でもない

だが もちろん私の映画はより良い世界への希求を表現している 当然のことだ もし現世に満足なら芸術は少なくとも演劇芸術は決して… 今の状態に満足していなかった 当然だ 偽りに対しては常に反抗すべきだ 悪や全てに対して では映画はいかに反抗しそれをどう示すか? 欲望をかき立てるのだよ “別のもの” への “消耗品”にはしない 悪であれ暴力であれ何であっても 一般に“メジャー映画”がそれをする 世界の最も嫌悪すべき側面であっても消費しやすくする

受け入れやすく?

いや 消費するんだ 映画を見る… とても暴力的な暴力は不愉快な方法で描かれる

通俗的だ

そうだ 胸が悪くなる

描き出される世界は暗い

描かれる世界は神秘は独りでに現れはしないのだ それが現れてくるのは… “現実”とのはざまの空間だ だがそのことが観客に神秘への希求をかき立てる つかもうとした途端に美は逃げ去る それが美のつきせぬ恩寵だ 手に入りそうで手が届かない

聖杯のようなものだな

そうだ それは何と言うのか… 精神の具現化… ラテン語が思い出せない ダメだ 現実を解き放った空間の中で精神は具現化される あらゆる形態の芸術の義務はそれはもちろん… その希求を癒すことにある それが… 存在する最も美しい芸術だ

 

『71フラグメンツ』