その者は狼のようなものである その者は狼である それ故に追放された者である

あの決定的な敗戦から十数年 占領軍統治下の混迷からようやく抜け出し国際社会への復帰を図るべく高度経済成長の名の下に強行された急速な経済再編成がその実を結びつつある一方でこの国は多くの病根を抱えていた 強引な経済政策が生み出した失業者の群れとその都市流入によるスラム化を温床とした凶悪犯罪の激増 わけても武装闘争を掲げた反政府勢力の急速な台頭はこれに対処すべき自治体警察の能力を超えて深刻な社会不安を醸成していた 自衛隊の治安出動を回避しあわせて国家警察への昇格をもくろむ自治警内部の動きを牽制すべく政府は第三の道を選択した 首都圏にその活動範囲を限定しつつ独自の権限と強力な戦力を保有する国家公安委員会直属の実動部隊 首都圏治安警察機動隊 通称“首都警”の誕生がそれである 迅速な機動力と強大な打撃力によって治安の番人としての栄誉を独占し第三の武装集団として急速に勢力を拡大した首都警 しかし当面の敵であった反政府勢力が非合法化を含む様々な立法措置によって解体し離合集散の末に“セクト”と呼ばれる都市ゲリラを生み出すに及んで状況は大きく転回することになる 首都警の中核をなす特機隊とセクトの武力衝突は熾烈をきわめ時に市街戦の様相を呈することもしばしばであり激しい世論の指弾を浴びた 経済的繁栄への期待に向けて流れ始めた世相の中特機隊はその宿敵であるセクトと共に急速にその孤立を深めつつあった強化服と重火器で武装し“ケルベロス”の俗称とともに武闘路線をひた走り続けた特機隊の精鋭たちもその歴史的使命を終え時代は彼らに新たなそして最終的な役割を与えようとしていた…

で 負傷の程度は?
目の前で爆発したんだ 運が良くとも重傷は免れんところだが強化装甲服のおかげだな 軽い打撲と脳震とう そう聞いている
それより昨夜の件だ そのためにこうして出向いて来たんだ
どうせまた自治警の抗議だろう 共同警備の申し合わせに対する重大な侵犯行為だとな
なぜ事前に通告しておかなかったんだ
情報が漏れるのを承知でか?
自分の縄張りの足の下で勝手をされた上にこの有様だ 連中が怒るのも無理はない
な 安仁屋 共同警備体制の推進なんて無駄はやめたらどうだ 所詮連中とは水と油 合わせてみても濁って浮き上がるのは俺たちだけだ
だとしてもだ 今我々の置かれた状況を考えてみろ 足を引こうとする連中にとって批判の対象にされがちなお前たち特機は格好の標的なんだ
と言われても戦闘ともなれば不測の事態は避けられんさ 連中の抗議は筋違いもいいところだ
爆発が不可抗力や偶発事故であるとするならな
どういうことだ 室戸
昨夜の特機の戦闘行動 それ自体が問題なのではない 重要なのは完全な制圧に失敗しゲリラの自爆を許した事にある
半田君 何と言ったかな
伏… 一貴巡査 養成課程を修了して9月に突入小隊に配属されています
新人には酷だったかもしれんな 自爆したゲリラは未成年のそれも女だったそうじゃないか
武器や爆発物の運搬に女や未成年者を使う ヤツらの常とう手段だ
お前ら公安部の言う“赤頭巾”か
俺たちが相手にしているのは気まぐれな犯罪者でもなければ狂暴さが取り柄のゴロン坊でもない 目的のためならどんな汚いまねでも平然とこなすだけの強じんな意志力を持ちしかも犯罪者としての負い目なんぞこれっぽっちも持たない そういう連中なんだ
言われるまでもない どのような事情があれ制圧をためらった隊員の責任は明白だ ただし事実関係の調査および隊員の処罰は隊内に査問委員会を召集してこれに当たる それでいいな
正規の手続きを踏んでな
何だそれは?
隊内には我々も知らぬ諜報だか粛清だかの部隊もあると聞く
何をバカな
“人狼”とか言うヤツか?
まあ単なる噂だろうがな
いちいち気分の悪いヤツだ で 安仁屋
いいだろう お前に任そう 事前通告の件は突っぱねるにせよ処罰することで最低限あちらの顔も立つ くれぐれも自重してくれよ

知ってるよな 捜査資料を部外者に提供するには部長の許可が必要でその室戸部長は反特機勢力の急先鋒だ ここで俺がお前と会っている事自体査問の対象になりかねないんだぜ
すまん
まあいいさ どうせ部内じゃ冷や飯ぐらいの養成校上がりだ 今さら上司の顔色を窺っても始まらんしそれに同期でただ一人の友人のたってのお願いってやつだしな 生き残った男の証言を頼りに洗ったんだが身元の割り出しにゃえらく苦労したそうだ 遺体といっても顔も分からん有様だったらしいな で どうするつもりなんだ? 目の前で自爆されたんだ お前の気持ちも分からんじゃないがあの娘の死に責任を感じてるんだとしたらとんだお笑いだ 俺やお前には理解できなくともヤツらにはヤツらの理屈があるのさ その理屈に従って人も殺すし時に自分の命を絶つ事もある 俺やお前がそうであるようにな 状況が一つ違えば吹き飛んでいたのはお前だったかも知れないんだ
撃つつもりだった
ん?
俺は撃つつもりだった
だったらなぜ撃たなかった! 忘れちまえよ 情に流されちゃこんな商売できやしない 生きる術のない手負いの獣になんざなる事はないんだ

昔一人の女の子がいて母親に7年も会っていませんでした 女の子は鉄の服を着せられて絶えずこう言い聞かされていました “服がすり切れたらきっと母さんに会いに行けるよ” 女の子は必死に服を壁にこすりつけて破こうとしました とうとう服が破けミルクとパンそれにチーズとバターを少しもらって母親のもとへ帰ることになった女の子は森の中で狼に出会い何を持っているのかと聞かれました “ミルクとパンそれにチーズとバターを少し”と答えると狼は“分けてくれないか”と言い“母さんへのお土産が減るから”と女の子は断りました 狼はピンの道と針の道のうちどちらから行くのかと聞き女の子がピンの道を行くと答えると自分は針の道を急ぎ女の子の母親を食べてしまいました やがて女の子は家に着きました “母さん 開けて” “戸を押してごらん 鍵は掛かっていないよ”狼がそう答えました

で どう思います?
何の話だ
なぜ撃たなかったのか 伏の話ですよ “ここにはペイント弾なんて結構な物はない いかなる状況であれ撃たれるよりは撃つべきだ”とそう体に覚え込ませるためにこれを使っているんじゃなかったんですかギアをつけていても骨までこたえる 初めてこれを食らった時は痛さで朝まで眠れなかった
それが嫌で公安部へ行ったんじゃなかったのか
所詮はあいつも人間って事ですかね
さあな だがどんなに痛めつけられても獣として生きることに安らぎを感じる者もいる
あいつがそうだと?
まぁ分かるまで繰り返すさ お前も妙な男だな 辺見 同期の期待を裏切って公安部へ進んだくせに特機で落ちこぼれたヤツを気遣って古巣へやって来る
そんな男の相手をしてくれる教官も十分に変わっていると思いますがね
女でもできたかな
え?
伏だよ 近頃外出が多いらしい 何か聞いているか?
いえ
どちらにせよ人と関わりを持った獣の物語には必ず不幸な結末が訪れる 獣には獣の物語があるのさ

ねえ あの角 あそこって前何があったんだっけ 覚えてる? そういうもんよね みんなすぐに忘れちゃうのよ ううん 初めから記憶なんてしてないのかもしれない 一日経って更地になっちゃえば初めから無いのと同じ 人間だって死んじゃえばそうかもしれないわ 何だか寂しいって思わない? ね… 結構遠くまで見えるでしょう
ああ
ここにこうしているとあたしもいつかきっとこの街を抜け出せるんじゃないかって思うの そしてどこか遠くの知らない街で別の人間になっちゃうのよ
別の… 人間?
そう 今までの事は全部忘れちゃって違う人になるのよ あなたはなぜ特機隊に入ったの?
え? うまく言えないけど俺にとってやっと見つけた居場所だったのかもしれない
大切な場所?
多分ね
そっか あなたは見つけたのね
わーい わーい 痛て!
あっ 僕 大丈夫?
イ… ああ! ああ…
あ~あ 行っちゃったね ケガは無い? あなたは来られないわ
待ってくれ! 聞きたい事があるんだ!
あなたは来られないわ 来てはいけないの

で… ピンの道を通って家へ帰った女の子はどうなったんだい?
“戸を押してごらん 鍵は掛かっていないよ”狼はそう答えました それも戸が開かないので女の子は穴をくぐって家の中へ入りました “お母さん お腹がペコペコよ” “戸棚に肉があるからおあがり” それは狼が殺した母親の肉でした 棚の上に大きな猫が来てこう言いました “お前が食べているのは母さんの肉だよ” “母さん 棚の上に猫がいて私が母さんの肉を食べてる そう言ってるわ”
“嘘に決まってるさ そんな猫には木靴を投げてやるがいい”
肉を食べた女の子はのどが渇いてきました “母さん 私のどが渇いたわ” “鍋の中のブドウ酒をお飲み” すると小鳥が飛んで来て煙突に止まって言いました “お前が飲んでるのは母さんの血だよ 母さんの血を飲んでるんだよ” “母さん 煙突に小鳥が止まって私が母さんの血を飲んでる そう言ってるわ”
“そんな鳥には頭巾を投げてやるがいい”
肉を食べブドウ酒を飲み終えた女の子は母親に向かって言いました “母さん 何だかとっても眠くなったわ”
“こっちへ来て 少しお休み…”

どうだろう 考えてもらえたかな
我々自身も大きなリスクを冒しているんだ この情勢下に警備部の人間が首都警の幹部と秘かに会合を重ねるということがどういう意味を持つか
重ねて言うが我々は首都警そのものを葬ろうとする本庁の連中とはその考え方において一線を画して行動しているつもりだ 創設時のいきさつはともかくここ数年首都警がこの国の治安の維持に果たしてきた役割については十分理解しているしそれも君が組織した公安部の活動に負うところが大きいと考えている 我々は君と君の公安部を高く評価しているのだ
首都の治安が沈静化の方向をたどり始めたとはいえ反政府勢力の力はまだまだ侮れぬものがある 地下に潜行したことでむしろその組織力が強化されつつあることは頻発の傾向にある彼らの破壊活動の例からも明らかだ
我々を取り巻く状況は大きく変わりつつあるのだ 武力による正面対決を避け公安活動を中心とする治安体制を速やかに確立せねばならん そのためには組織の統合 指揮系統の一本化こそが緊急の課題なのだが
首都警潰しに狂奔しとる総監部の連中にはそのことが分からんのだ
本庁内部にあって多数とは言えぬながらも現場の治安を預かり国家の将来を真に憂う者たちの中に我々の勢力は着実に浸透しつつある これに君の公安部 そして安仁屋部長の政治力が合流すれば
首都警との組織的併合をもって内部気候の大幅な刷新に充てる 非公式ながら公安委員数名の内諾も取り付けた ある条件付きでな
特機隊か どう思う
口先だけのくだらん連中です 監察部辺りにひと睨みされれば尻尾を巻いて小屋に逃げ込む手合いだ 公安委員も本庁に対する牽制のつもりで言質を与えたんでしょう
そんなところだろうが連中の情勢認識だけは正確だ ひとつの小屋に2匹の犬は入らん だが2匹の犬のその血が必要なのだとしたらつがいにすれば事は済む どちらの血筋が残るかは賭けだがな いくら力を誇ろうとその優れた血を残せなかった獣はいずれ滅びる ある種の獣は群れの長になった時支配下の雌の子供をすべて咬み殺すそうだが時には組織も同じ事をやる 特機の友人を裏切るのは心が痛むか? どんな女だ
死んだ娘と同じ赤頭巾の一人で “ラングハール” 本名 雨宮圭 前科はありませんが逮捕歴数回の筋金入りのテロリストです 一課の網にかかって落ちたところを引き取りました
その女を選んだ理由は?
素性の良さと顔立ちが死んだ娘によく似ていましたので
折を見て仕掛けろ それから“人狼”という組織の名を聞いたことがあるか
確か特機隊副長の半田が直々に組織した対諜報部隊で特機内部はもちろん本部や公安部にまで構成員を潜り込ませているとか 本当に存在するんですか? そんな組織が
まさかとは思うが半田は占領統治時代G2の要請で対敵諜報部を組織した経歴もある 何を考えているか分からん男だ 一応頭に入れておけ
現役の特機隊員と女テロリストの許されぬ関係か… 部長のヤツ 泥臭い手を使いやがる 確かにこの手のスキャンダルは効果が大きいがな 何を考えている? おとぎ話の悪役は昔から狼と決まってるんだ お前が裏切るのは人間じゃない

そろそろ動き出しそうだな ヤツは本当に使えるのか?
獣として生きるしかない男でしょうから…

女の子が着物を脱いで寝台に近付くと母さんは頭巾を顔の方までかぶって奇妙な格好をして寝ていました “母さん 何て大きな耳をしてるの” “だからお前の言うことが聞こえるのさ” “母さん 何て大きな目をしてるの” “これでなけりゃお前がよく見えやしないからさ” “母さん 何て大きな爪なの” “これでなけりゃお前をうまくつかめやしないからさ” “母さん 何て大きな歯をしてるの…”

それは?
本物を持たせるほど私を信用しちゃいないわ でも爆弾の受け渡し場所に夜の博物館を指定するなんて公安もシャレた設定をすると思わない? ましてその場で逮捕された犯人の片割れが現役の特機隊員とくればマスコミが一斉に飛びつくわ
演じてみせるのは自治警だが筋書きを書いたのは首都警公安部 演出は… 辺見か
そこまで知っててどうして?
抜けるぞ
逃げられたそうです 女を拉致されご丁寧に車まで奪われて現在所在不明 警備部を動員して非常線を張ってるそうですが網にかかるかどうか やっぱり連中には荷が重かったようですね
そんなに優秀な男だったのか
情緒面に難あり ただし射撃 格闘技 ストーキングなどあらゆる戦闘技術に抜群の技量を有す… 話しませんでしたっけ
作戦課から使えるものを選んで連れていけ
保険を掛けといて正解でしたよ
辺見 もしあの男が“人狼”だったら
撃ちますよ のど笛に食らいつかれる前にね 俺はヤツとは違う

これからどこへ行くの?
暗い森へ
暗い森を抜けてどこへ行くの?
誰かの待つ家へ
誰が待ってるの?
お母さん? おばあさん? それとも…

我々は当初から伏が査問を受けた頃から彼を看視下に置いていた 君が彼と接触した時点で君の身辺も洗わせてもらったよ
それじゃ…
初めから承知の上で泳がせていたのさ 諜報戦とはこういったものさ 常に先を読み先手を打ったものが優位に立つ 彼らは特機隊の失墜を計るべく彼をいけにえの羊に選んだつもりだったんだろうがワナに掛かったのは彼ら自身だったのさ スキャンダルを恐れなければならなくなったのは彼らであって我々ではない 君というカードが我々の手にある限り公安部もしばらくの間は特機隊にうかつな手出しはできないという訳さ 俺がヤツらの立場でも保険は掛けるさ もっともこの手を辺見に教えたのは俺なんだがな もう分かったろう ここにいる男は特機隊の隊員であるとともに常に我々の組織のメンバーだった そう 養成校で私の指導を受けていた生徒だった頃から
じゃあ あなたも初めから… そうなの?
あれが本当の彼の姿だ 我々は犬の皮をかぶった人間じゃない 人の皮をかぶった狼なのさ
ひと… おおかみ!
よし 行け! 猟師が狼を退治して終わるのは人間が書いた物語の中だけなんだ
やはりそうだったか 伏! 俺が諭すまでもなくお前はまさしく! なぜだ なぜあの時お前は撃たなかった? 何が違うと言うのだ 俺と何が お前だって… 人間じゃねェかあ!

彼女は公安部を抑えるための持ちカードじゃなかったんですか
重要なのは彼女が我々の手中にあると連中が信じている事であって現実の彼女の生死は問題じゃない
それならなぜ
奪還されるリスクを冒さずしかもその死亡を敵に確認させないために取るべき方法は一つしかない いいか 彼女はその生存の可能性を留保し続けるために今ここで死ぬしかないんだ そんな事は修羅場を踏んできた彼女自身先刻承知の事だ 群れを離れて人のもとへ行きたくなったか だがな… 人の皮をかぶって人と隣り合わせに生きていても狼が人になれる訳じゃない 自分の手で運んだ爆弾で多くの命を奪ったあの女の罪が決して消えないようにな
俺は一体…
どうしたらいいか教えてほしいか? 人と関わりを持った獣の物語に結末をつけろ お前が獣でいられる間に
女の子が着物を脱いで寝台に近付くと母さんは頭巾を顔の方までかぶって奇妙な格好をして寝ていました “母さん 何て大きな耳をしてるの”  “母さん 何て大きな目をしてるの”  “母さん 何て大きな爪なの” “母さん 何て大きな歯をしてるの!”
そして狼は赤頭巾を食べた

『人狼 JIN-ROH』