人形

「われわれの神々もわれわれの希望も、もはやただ科学的なものでしかないとすれば、われわれの愛もまた科学的であっていけないいわれがありましょうか」 ―リラダン「未来のイヴ」

人間とロボットは違う でもその種の信仰は白が黒でないという意味において人間が機械でないというレベルの認識に過ぎない 工業ロボットはともかく少なくとも愛玩用のアンドロイドやガイノイドは功利主義や実用主義とは無縁な存在だわ なぜ彼らは人の形それも人体の理想形を模して作られる必要があったのか 人間はなぜこうまでして自分の似姿を作りたがるのかしらね あなた子供は?
娘が1人
子供は常に人間という規範から外れてきた… つまり確立した自我を持ち自らの意志にしたがって行動する者を人間と呼ぶならばね では人間の前段階としてカオスの中に生きる子供とは何者なのか? 明らかに中身は人間とは異なるが人間の形はしている… 女の子が子育てごっこに使う人形は実際の赤ん坊の代理や練習台ではない 女の子は決して育児の練習をしているのではなくむしろ人形遊びと実際の育児が似たようなものなのかもしれない
一体何の話をしてるんです?
つまり子育ては人造人間を作るという古来の夢を一番手っ取り早く実現する方法だった そういうことにならないかと言ってるのよ
子供は… 人形じゃない!
人間と機械 生物界と無生物界を区別しなかったデカルトは5歳の年に死んだ愛娘にそっくりの人形をフランシーヌと名づけて溺愛した そんな話もあったな
ああ 不躾な質問で大変恐縮なんですが
私は子供を産んだことも育てたこともない ちなみに卵子バンクにも登録していない
どうもありがとう ミス…
ハラウェイ ミスもミセスも要らないわ

人形に魂を吹き込んで人間を模造しようなんて奴の気が知れんよ 真に美しい人形があるとすればそれは魂を持たない生身のことだ 崩壊の寸前に踏みとどまって爪先立ちを続ける死体
電脳化した廃人に成り下がる それが理由か
人間はその姿や動きの優美さにいや存在においても人形にかなわない 人間の認識能力の不完全さはその現実の不完全さをもたらしそして… その種の完全さは意識を持たないか無限の意識を備えるか つまり人形あるいは神においてしか実現しない いや… 人形や神に匹敵する存在がもうひとつだけ
動物か…
シェリーのヒバリは我々のように自己意識の強い生物が決して感じることのできない深い無意識の喜びに満ちている 認識の木の実をむさぼった者の末裔にとっては神になるより困難な話だ
致し方なく人形に入って死んだフリをする それが理由か
“未だ生を知らず 焉んぞ死を知らんや”と孔子さまも言ってるぜ 死を理解する人間は稀だ 多くは覚悟でなく愚鈍と慣れでこれに耐える つまり人は死なざるを得ないから死ぬ訳だが
生身の人形は死を所与のものとしてこれを生きる キムが完全な義体化を選んだ それが理由だった
実に嫌な気分だろう よくわかるよ 外見上は生きているように見えるものが本当に生きているのかどうかという疑惑 その逆に生命のない事物がひょっとして生きているのではないかという疑惑 人形の不気味さがどこからくるのかと言えばそれは人形が人間の雛形でありつまり人間自身に他ならないからだ 人間が簡単な仕掛けと物質に還元されてしまうのではないかという恐怖 つまり人間という現象は本来虚無に属しているのではないかという恐怖… 生命という現象を解き明かそうとした科学もこの恐怖の醸成に一役買うことになった 自然が計算可能だという信念は人間もまた単純な機械部品に還元されるという結論を導き出す
“人体は自らゼンマイを巻く機械であり永久運動の生きた見本である”
18世紀の人間機械論は電脳化と義体化の技術によって再び蘇った コンピューターによって記憶の外部化を可能にした時から人間は生物としての機能の上限を押し広げるために積極的に自らを機械化し続けた それはダーウィン流の自然淘汰を乗り越え自らの力で進化論的闘争を勝ち抜こうとする意志の表れでありそれ自身を生み出した自然を超えようとする意志でもある 完全なハードウェアを装備した生命という幻想こそがこの悪夢の源泉なのさ
“神は… 永遠に… 幾何学する”
バトー これがまだ擬似信号の作り出す現実の続きでないと言い切る自信がお前にあるのか?
囁くのさ… 俺のゴーストが
人間もまた生命という夢を織り成す素材に過ぎない 夢も知覚も いやゴーストさえも 均一なマトリクスに生じた裂け目や歪みなのだとしたら
俺もお前も同じくだらねえ人間だが俺とお前じゃ履いてる靴が違う ゴーストが信じられねえ野郎にゃ狂気だの精神分裂だのって結構なもんもありゃしねえ お前の残り少ない肉体は破滅することもなく分相応な死ってやつが迎えにくるまで物理的に機能するだろうよ

“鳥の血に悲しめど魚の血に悲しまず 声ある者は幸福なり” 人形たちにも声があれば“人間になりたくなかった”と叫んだでしょうね

『イノセンス』