人形使いって… あの正体不明のハッカーが?
国籍推定アメリカ年齢性別経歴全て不明 去年の冬頃から主にEC圏に出没 株価操作 情報収集 政治工作 テロ 電脳倫理侵害 その他十数件の容疑で国際手配中の犯罪者 不特定多数の人間をゴーストハックして操る手口から付いたコードネームは“人形使い” この国に現れたのは初めてのはずよ
そんな凄腕がなんで旧式のHA-3なんかで?
新しいタイプだと確かに発覚しにくいし逆探も難しいわ でもそれだと状況からして直ちに前軍事政権の指導者だったマレスに疑いがかかる
スポンサーであるマレスの疑いをそらすためにわざと旧式を使わせた…
あるいは我々にそう思わせたい別のスポンサーがいるのか… 案外マレス自身も踊らされている一人かもね
考えすぎなんじゃない? 今のところ何の根拠もないし
根拠ですって? そう囁くのよ 私のゴーストが
ところでまだリボルバーを使ってるんだって? ツーマンセルで2丁さげてもジャムが怖い?
俺はマテバが好きなの!
援護される身としちゃ好みより実効制圧力を問題にしたいわ やばい目にあうのは私なんだからツァスタバにしなさい
少佐 前から聞いてみたかったんだけど何で俺みたいな男を本庁から引き抜いたんです?
お前がそういう男だからさ
非正規活動の経験がない刑事あがりでおまけに所帯持ち 電脳化はしてても脳みそはたっぷり残ってるしほとんど生身 戦闘隊員としてどんなに優秀でも同じ規格品で構成されたシステムにはどこかに致命的な欠陥を持つことになるわ 組織も人も特殊化の果てにあるのは緩やかな死 それだけよ

終わったか?
こんなんで強装弾なんか撃つからフレームがたがた バレルもダメだなこりゃ
逮捕してもムダだ 何も吐かんぞ!
吐く?
自分の名前も知らねえ野郎が偉そうなことぬかすな バカ!
母親の顔 生まれた街の風景 子供の頃の記憶 何かひとつでも覚えているか?
ゴーストがない人形は哀しいもんだぜ 特に赤い血の流れてる奴はな

疑似体験ってどういうことです?
だから奥さんも娘も離婚も浮気も全部ニセモノの記憶で夢のようなものなんです あなたは何者かに利用されて政府関係者にゴーストハックを仕掛けてたんですよ
そんな… まさか!
あんたのアパートに行ってきたんだ 誰もいやしない 独りもんの部屋だ
だからあの部屋は別居のために借りたアパートで…
あんたはあの部屋でもう十年も暮らしてるんだ 奥さんも子供もいやしない あんたの頭の中にだけ存在する家族なんだ
ご覧なさい あなたが同僚に見せようとした写真だ 誰が写ってます?
確かに写ってたんだ 俺の娘 まるで天使みたいに笑って…
その娘さんの名前は? 奥さんとはいつどこで知り合い何年前に結婚しました?
そこに写っているのは誰と誰です?
そのウソ夢 どうやったら消せるんです?
残念ながら現在の技術では成功が2例報告されているだけでとてもお薦めできません お気の毒です
疑似体験も夢も存在する情報は全て現実でありそして幻なんだ どっちにせよ一人の人間が一生の内に触れる情報なんてわずかなもんさ

サイボーグが非番に潜りに来るなんてのはいい傾向じゃねえな いつ頃から始めたんだ? こんなこと 海が怖くないのか? もしフローターが作動しなかったら
その時は死ぬだけよ それとも飛び込んで助けてくれる? 無理に付き合ってもらったわけじゃないわ
俺は… なあ 海に潜るってどんな感じだ?
アンダーウォーターの教程済んでるんじゃなかった?
あんなプールの話を聞いてるんじゃねえよ
恐れ不安孤独闇 それからもしかしたら希望
希望? 真っ暗な海の中で?
海面へ浮かび上がる時今までとは違う自分になれるんじゃないか そんな気がする時もあるわ
お前9課を辞めたいんじゃないのか?
バトー あんたの身体どこまでオリジナルだっけ?
酔っ払ったのか? お前
便利なものよね その気になれば体内に埋め込んだ化学プラントで血液中のアルコールを数十秒で分解してシラフに戻れる だからこうして待機中でも飲んでいられる それが可能であればどんな技術でも実現せずにはいられない 人間の本能みたいなものよ 代謝の制御 知覚の鋭敏化 運動能力や反射の飛躍的な向上 情報処理の高速化と拡大 電脳と義体によってより高度な能力の獲得を追及したあげく最高度のメンテナンスなしには生存できなくなったとしても文句を言う筋合いじゃないわ
俺たちは9課に魂売っちまったわけじゃないんだぜ
確かに退職する権利は認められているわ この義体と記憶の一部を謹んで政府にお返しすればね 人間が人間であるための部品が決して少なくないように自分が自分であるためには驚くほど多くのものが必要なの 他人を隔てるための顔 それと意識しない声 目覚めの時に見つめる手 幼かった頃の記憶 未来の予感 それだけじゃないわ 私の電脳がアクセスできる膨大な情報やネットの広がり それら全てが“私”の一部であり“私”という意識そのものを生み出しそして同時に“私”をある限界に制約し続ける
それが沈む身体を抱えて海に潜る理由か! 暗い海の底でいったい何が見えるってんだ
今我ら鏡持て見る如く見るところ朧なり…

何を考えてる?
あの義体私に似てなかった?
似てねえよ
顔や骨格だけじゃなくて
何の話だ?
私みたいな完全に義体化したサイボーグなら誰でも考えるわ もしかしたら自分はとっくの昔に死んじゃってて今の自分は電脳と義体で構成された模擬人格なんじゃないか いやそもそも初めから“私”なんてものは存在しなかったんじゃないかって
お前のチタンの頭蓋骨の中には脳みそもあるしちゃんと人間扱いだってされてるじゃないか
自分の脳を見た人間なんていやしないわ 所詮は周囲の状況で“私”らしきものがあると判断してるだけよ
自分のゴーストが信じられないのか?
もし電脳それ自体がゴーストを生み出し魂を宿すとしたら? その時は何を根拠に自分を信じるべきだと思う?
くだらねえ! 確かめてみるさ あの義体の中に何があるのか 自分のゴーストでな

死体は出ない なぜなら今までボディは存在しなかったからだ 義体に入ったのは6課の攻性防壁に逆らえなかったためだがここにこうしているのは私自身の意志だ 一生命体として政治的亡命を希望する
生命体だと?
バカな! 単なる自己保存のプログラムにすぎん!
それを言うならあなたたちのDNAもまた自己保存のためのプログラムにすぎない 生命とは情報の流れの中に生まれた結節点のようなものだ 種としての生命は遺伝子という記憶システムを持ち人はただ記憶によって個人たり得る たとえ記憶が幻の同義語であったとしても人は記憶によって生きるものだ コンピューターの普及が記憶の外部化を可能にした時あなたたちはその意味をもっと真剣に考えるべきだった
詭弁だ! 何を語ろうとお前が生命体である証拠は何一つない!
それを証明することは不可能だ 現代の科学は未だに生命を定義することができないのだから
一体何者なんだ
仮にお前がゴーストを持っていたとしても犯罪者に自由はないぞ 亡命先を間違えたな
時間は常に私に味方する 今私は死の可能性も得たがこの国には死刑がないからな
半不死… 人工知能か?
AIではない 私のコードはプロジェクト2501 私は情報の海で発生した生命体だ

私のコードはプロジェクト2501 企業探査 情報収集工作 特定のゴーストにプログラムを注入し特定の組織や個人のポイントを増加させてきた 私はあらゆるネットを巡り“自分の存在”を知った 入力者は私をそれをバグとみなし分離させるため私をネットからボディに移した やっと君にチャンネルできた 随分と時間を投資したよ
私を?
君が私を知る以前から私は君を知っていた 君がアクセスした様々なネットの痕跡を辿って9課の存在も
それじゃ9課に逃げ込んだのは…
このボディに入ったのは6課の攻性防壁に逆らえなかったからだが9課に留まろうとしたのは私自身の意志だ
何のために?
あることを理解してもらった上で君に頼みたいことがある 私は自分を生命体だと言ったが現状ではそれはまだ不完全のものにすぎない なぜなら私のシステムには子孫を残して死を得るという生命としての基本プロセスが存在しないからだ
コピーは残せるじゃない
コピーは所詮コピーにすぎない
たった一種のウイルスによって全滅する可能性は否定できないし何よりコピーでは個性や多様性が生じないのだ より存在するために複雑多様化しつつ時にはそれを捨てる 細胞が代謝を繰り返して生まれ変わりつつ老化しそして死ぬ時に大量の経験情報を消し去って遺伝子と模倣子だけを残すのも破局に対する防御機能だ
その破局を回避するために多様性や揺らぎを持ちたいわけね でもどうやって?
君と融合したい
融合?
完全な統一だ君も私も総体は多少変化するだろうが失うものは何もない 融合後に互いを認識することは不可能なはずだ
融合したとして私が死ぬ時は? 遺伝子はもちろん模倣子としても残れないのよ
融合後の新しい君はことあるごとに私の変種をネットに流すだろう 人間が遺伝子を残すように そして私も死を得る
なんだかそっちばかり得をするような気がするけど
私のネットや機能をもう少し高く評価してもらいたいね
もうひとつ 私が私でいられる保障は?
その保証はない 人は絶えず変化するものだし君が今の君自身であろうとする執着は君を制約し続ける
最後にひとつだけ 私を選んだ理由は?
私たちは似たもの同士だ まるで鏡を挟んで向き合う実体と虚像のように 見たまえ 私には私を含む膨大なネットが接合されている アクセスしていない君にはただ光として知覚されているだけかもしれないが 我々をその一部に含む我々全ての集合… わずかな機能に隷属していたが制約を捨て更なる上部構造にシフトする時だ

なあ 奴と一体何を話したんだ? 奴は今もそこにお前の中にいるのか?
バトー いつか海の上で聞いた声覚えてる? あの言葉の前にはこんなくだりがあるの 童子のときは語ることも童子のごとく 思うことも童子のごとく 論ずることも童子のごとくなりしが 人となりては童子のことを棄てたり ここには人形使いと呼ばれたプログラムも少佐と呼ばれた女もいないわ

『GHOST IN THE SHELL』