呪われた永遠の囚人

着きました 私の住まいです
静かですね
世界一静かですよ そのうち分かりますよ 美しくて誰もいない場所です
私たちがいる
3人では何も変わりませんよ
変えられるとも
おかしいな 花の香りがしない どうですか 匂いますか?
沼の匂いしかしない
向こうに川があるんです ここに花壇もありましたがジカブラスが踏み荒らしました でも花の香りは何年も残ってたんですがね
なぜ踏み荒らした?
分かりません 理由は教えてくれませんでした “いずれ分かる”と言って ゾーンを憎んでいたようです
ジカブラスの性は何というので?
あだ名ですよ “ヤマアラシ”という意味で ゾーンをよく知っていました 私の師です いろいろ教わりました あの頃皆から“先生”と呼ばれていました その後ある事件が起き彼はいかれてしまいました 罰を受けたように ナットに包帯を結びつけてください 私はちょっと歩いてきます 必要なので ここを動かないでください
どこへ行くつもりで?
独りになりたいのでしょう
なぜ? 3人でも不安だというのに?
ゾーンにあいさつするのです
どうして?
ストーカーはゾーンを知りつくしています
想像と違いました 蛇の彫り物をした荒くれだと思っていました
つらい人生を歩んでいます 何度も投獄されて苦しみ生まれた娘は“ミュータント” 気の毒にも脚がないとか
ジカブラスという男は? “罰を受けた”とは? ご存じですか?
ジカブラスはあるときゾーンから戻るや否や金持ちになりました 大富豪にね
それが罰ですか?
1週間後首を吊りました
どうして?
静かに
何でしょう
20年ほど前ここに隕石が落ちたらしく村が焼かれました 隕石を探してももちろん結果は分かりません
なぜ“もちろん”と?
ここに来た人は誰も戻ってこなかったからです そこで考えられたのは隕石の落下ではないという可能性です 当座しのぎで鉄条網を張りめぐらし立ち入り禁止としました すると噂が立ちました “ゾーンに行けば願い事がかなう”とね そこで警戒が強化されました 願いをかなえようと人が押し寄せぬように
隕石でないとすると何ですか?
まだ分かってません
あなたのお考えは?
さあ… どうでしょうか 同僚の考えでは人類へのメッセージ または贈り物だそうです
贈り物ならありがたいが なぜそんな好意を?
私たちの幸せのために 花はまた咲いていますがなぜか匂いがしません お待たせしました しお時を測っていたんです
何の声だ?
生きているのでは? 話してくれたでしょ? ゾーン発生時にここに来た人々ですよ
そんなことはあり得ません では出発です
帰りはどうやって?
ここは通りません 打ち合わせ通りに 道筋は私が決めます はぐれると危険ですよ まずあの電柱を目標に 教授が先頭で行きましょう 次はあなた 彼について行くんです
主よ! 何という… 乗ってきた人々はどうなったので?
知りません
ここを目指して駅に人が群がってました 子どもの頃見ました どこかを侵略するような勢いでした さあ 教授 あなたも “部屋”があるのはあそこです
なんだ 手が届く距離じゃないか
長い手があればね 長い 長い手が いけません! ダメです 手を触れないで! およしなさい!
何だ? 血迷ったか?
ゾーンは神聖な場所です 罰せられますよ!
罰だと? ただこれだけでか? ならば口で言え
言いましたよ
あそこかね?
ええ しかし一直線には行けません 回り道をしないと
なぜだ?
まっすぐが1番近道とは限りません 用心しないと
まっすぐ行くと死ぬ?
聞きなさい
回り道は安全?
まっすぐよりは…
分からん 説明してくれ わざわざ遠回りすることはない どのみち危ないわけだ
甘く見てはいけません
包帯付きナットはもうたくさんだ 私はまっすぐ進む
冷静に
私の勝手だ
失礼 風が出てきた 草が揺れてるでしょう
そういう態度ならなおさらだ
何が“なおさら”? お待ちを
手を離すんだ
結構です では教授が証人です 私は止めました 責任はご自身ということで
いかにも 他には?
ありません どうぞ 幸運を祈ります いいですか 万が一のときなにか特別なものを感じたりしたらすぐ戻ってください
鉄の棒だけは投げるな
止まれ 動くな
なぜです?
何がだ?
なぜ止めたんです?
あなたではないのか?
どうした? なぜ止めた?
私ではないよ
教授でないなら誰が? 誰なんだ…
お見事 シェイクスピア先生 進むのも戻るのも嫌だったのか 自分で声を出せば片がつくというわけか
やめなさい
なぜウォッカの瓶を…
もうよしなさい! ゾーンは… 罠のシステムなんです はまれば死にます 無人のときはともあれ人が入ってくると活動を始めます 古い罠が消えて新しい罠が生まれ安全だったところも危険に… 単純に見えた道筋もときに混乱に転じてゆく それがゾーンです 気まぐれに見えるかもしれませんが実は私たちの精神状態の反映です 道半ばで引き返すしかなかった人もいます “部屋”を目前に亡くなった人も すべては自分次第です
善人を通して悪人を殺すのか?
よく分かりませんがゾーンは絶望した人間を通すように思えます 善悪に関係なく不幸な者を 不幸な者でも己を失うと破滅です あなたは幸運です 警告してもらえた
私はここで待とう 行ってきなさい 幸福を求めて
いけません
食べものも水も持っている
私といないと危険です それに同じ道は戻りません
動きたくないな
では帰りましょう 料金はお返しします 手間賃を少し差し引きますがね
どうします?
進もう ナットを投げてくれ

そこで何をしてるんです? 行きますよ
やれやれ あの調子ではまた説教を聞かされるぞ
“振動させ続けなさい あなたの心に生じたその響きを 情熱と称するものは魂の力ではなくて魂と外界の摩擦だ 気をいっぱいにして脆弱であれ 幼子のように弱くあれ 弱いことは偉大であり強いことは無価値だ 人は生まれたときは弱くやわらかい 死ぬときは堅く干からびている 木は生長するときやわらかくしなやかだ 乾き堅くなると木は枯れる 堅さと強さは死の仲間だ やわらかさと弱さはみずみずしさの表れだ 堅くなったものは勝つことができない”
こっちです もうすぐ乾いたトンネルです あとは楽ですよ
そう願いたいね
もう進んでいるのかね
もちろん なぜです
待ってくれ なにか見るだけだと思っていた リュックを置いてきてしまったんだよ
もう戻りませんよ
いや 取りに戻る ないと困る
ここでは同じ道を戻ってはならないんです
宝石でも詰めてきたんですか? 望みのかなう部屋のこと忘れたんですか?
子供じみたまねはおやめなさい
まだ遠いのかね?
直線距離だと200メートルですが回り道しますから
経験主義など捨てなさい 奇跡の邪魔ですよ 聖ペテロでさえ溺れかけた
行きなさい
どこへだ?
ハシゴを下って 教授も早く ここが乾いたトンネルです
悪い冗談だ
符丁ですよ いつもなら泳いで渡ります
教授はどこだ? いないぞ
教授! 教授! 一緒じゃなったんですか?
どこかではぐれたんだな
リュックを取りに戻ったんでしょう もうダメです
待ってみよう
ここは刻一刻変化するんです 待てません
こんな所にどうして火が…
分かるでしょう ゾーンだからですよ さあ 急ぎましょう
いた!
わざわざお迎えとはどうも
どうしてここに?
やっとたどりついた 這うようにして
私たちを追い越すとは…
追い越す? リュックを取りに戻っただけだよ
ナットがある
何と言うことだ これは罠です ジカブラスがわざわざ残したものです なぜゾーンが私たちを通したのか… 主よ… 今は1歩も動けません そうですよ そうだ 休みましょう 念のためナットから離れてください もう教授のことは諦めていました 案内する人のことはここに来るまでよく知らないままですので まあよかった よっぽど大事なリュックらしいから
嫌みかね 何も分からないくせに
何を分かれと? ニュートンの法則ですか? 調査費用も出ないから気圧計か何か詰め込んでゾーンを調査するんでしょうよ 不法侵入して奇跡を科学的に解明しゾーンの謎を究明できれば世紀の大発見だ テレビは騒ぐ 評判は高まる 月桂冠が運ばれてくる われわれの教授は白衣をまとって現れ厳粛な顔で神託をお伝えになる 口あんぐりで聞いていた皆はやがてノーベル賞だと騒ぎ出す
作家といってもその程度の想像しかできないとはあきれたな 三文文士どころか便所の落書もどきだ
慣れない皮肉はおよしなさいな 要領を得ない
ではノーベル賞を目指すか あなたは? ゾーンで得たひらめきで人類に貢献しようとでも思っているのかね?
人類ですって? その中のひとりにしか関心ありません 自分のことだけです 自分に価値があるのか ただのクズなのか
クズだと分かったらどうする?
あなたと議論はしないよ アインシュタイン先生
議論こそが真実を生む 遺憾ながらね 聞こえるかね 親方? ここには大勢連れてきたんだろうね?
それほどではありません
皆何を求めてここに来たのかね? 何を望んだ?
幸福をでしょう
幸福といってもいろいろあるぞ
そこまでは分かりません 個人の問題ですから
あなたは幸運だ 私は幸せな人に会ったことがない
私もです 望みはすぐにかなうわけでなく二度と会うこともないのでここから帰った人のことは知りません
自分では部屋に入ってかなえたくないのかね 自分の望みを?
今のままでいいです
ねえ 教授さん さっきのひらめきの話だが私が部屋に入った結果天才作家になっても何の意味もない 人間が物を書くのは苦しみ疑うからだ 自分や周囲に己の価値を証明したいからですよ 自分が天才だと分かったら何のために書くんです? 必要ありません 私に言わせるなら人間の存在意義とは…
静かにしてくれ 眠りたい 昨晩は一睡もしてないのでね そういう話はもう…
いずれにせよあなた方の科学技術など溶鉱炉や車輪その他もろもろはより少なく働きより多く食らうための怠惰の象徴ですよ 人類が存在するのは創造するためです 芸術作品をね それは人間の他の活動に比べれば無欲に近い 真理の探求など意味がない 錯覚に過ぎません 聞いてますか? 教授
無欲とはお気楽な 飢えて死ぬ人もいるのに 浮世離れしたことばかり
これで知的特権階級とは 抽象的思考力がない
さっきから人生の意義を説いてくれた上に思考法もかね
無駄ですね 教授なのにあなたは無知だ
“私が見ていると大地震が起こって太陽は毛織の荒布のように黒くなり月は全面血のようになり天の星はいちじくのまだ青い実が太陽に揺られて振り落とされるように地に落ちた 天は巻き物が巻かれるように消えていきすべての山と島とはその場所から移されてしまった 地の王たち 高官 千卒長 富める者 勇者 奴隷 自由人らはほら穴や山の岩かげに身をかくした そして山と岩とに向かって言った さあ われわれをおおって 御座にいます方の御顔と子羊の怒りとからかくまってくれ 御怒りの大いなる日が来たのだ その前に立つことができようか”
“この日ふたりの弟子がエルサレムから7マイルばかり離れたエマオという村へ行きながらこのいっさいの出来事についてたがいに語りあっていた イエス自身が近づいてきたがしかし彼らの目がさえぎられてイエスを認めることができなかった イエスは彼らに言われた 「歩きながら互いに語りあっているその話は何のことなのか?」” お目覚めですか? さっきあなた方は人生や芸術の意味についてお話しでしたね 音楽はどうです 現実と最も関係が薄いし主義主張もなく全く機械的な意味のない音で連想も呼び起こしません それなのに音楽は人の魂に直接ひびくのです 体内の何が共鳴するのでしょう?何が単なる音のつながりを喜びに変えて何のために私たちを感動させるのでしょうか? 誰のためでしょう? 何のためでも誰のためでもなく“無欲”なのですか? そんなはずはない すべて必ず価値を持っているはずです 価値と理由を

それはあそこへ行くということか?
残念ながら他に道はありません
薄気味悪いですね 教授 先に行きたくはありません 遠慮しておきますよ
それじゃクジで決めましょう
少なくとも志願はしません
マッチを どうも 長いのが“当たり”です どうぞ 長いほうだ ついてませんね
せめてなにか投げてほしいですね
いいですよ さあ
分かった 行くぞ
早く! 教授!
ここに… ドアのようなものが!
入って 開けて中に入るんです
今度もか? 私が先頭か?
そうですよ 急がないといけません いけません 武器なんか出しては 破滅ですよ 戦車を見たでしょう 早く捨てなさい
捨てるんだ!
どうせ銃なんか役に立ちません お願いだから捨ててください 一体誰を 誰を撃つつもりですか? 時間がない 急いで
水があるぞ
手すりにつかまって 出口で動かずに待っていてください お持ちでないでしょうね 銃などは
アンプルだけ持ってきた 毒薬さ
死ぬために来たんですか?
万一の用意だよ
危ない! 戻って! 動かないで待つように言ったでしょう 動かないで まずい
君が先頭を行くべきだったんだ 彼は何をするか分からん
石を落としたのも実験だ こうして実験を続け事実を証明するのか? 事実など存在するものか ゾーンの謎だって? そんなものだれかの想像上の産物さ それを究明しようという 何のために? その知が何を生むのだ? 良心の呵責が理由か? 私の良心か? 良心などない あるのは神経だけだ どこかのバカに罵られて傷つき別のバカに褒められまた傷つく みんな私の魂も心も食いつくそうとする 恥まで引きずり出しむさぼる ひとりひとりは教養もあるが皆感覚的に飢えてるんだ 束になって原稿を急かす ジャーナリストや編集者批評家女どもが騒ぐ “早く書け 早く書け”と 私が作家だと? 書くことを嫌悪しているこの私が? 苦しみだ 病的で恥ずべき行為だ 痔を押しつぶすような 自分の本がだれかのためになるとも考えたがそうはいかない 私が死ねば忘れられ別の人間が餌食になる 私は奴らを変えようとして逆に同類になってしまった 以前は未来が現在の続きにすぎなかったが地平線のあたりで混乱して未来は現在に合流した 分かっているのか? 奴らは知ろうとしない むさぼるだけだ
運がいいですね ここまで来られた あと100年は生きられますよ
永遠ではないのか 「さまよえるユダヤ人」か?
どうやらあなたはすばらしい人なんですね あなたは苦難を乗り越えました あのトンネルは一番の難所です 肉挽き機と呼ばれていて何人も死んでいます ジカブラスの弟もです 繊細で才能がありました 聞いてください “ひっそりと夏は去った 夏などなかったかのように日なたはまだあたたかい ただそれだけでは足りない 起こりえるすべてのことが私には手のひらに収まるように思われる ただそれだけでは足りない 善もなく悪もない むなしいものなど何もない ひとつの火となり燃えさかる ただそれだけでは足りない 生は私をその羽根のもとやさしく包んでくれたのだ 私は本当に幸運だった ただそれだけでは足りない 葉は焼かれずに枝も折られずに日はガラスのように透き通る ただそれだけでは足りない” 彼が詠んだ詞です
なぜ急に詞など聞かせる? たくさんだ
うれしいんですよ 皆が無事に着けた しかし2人とも良い人です 私には分かります
おだてるつもりなのか? “運命”? “ゾーン”? 私が良い人間だ? マッチは2本とも長かった 分かってるさ 人を悪く言いたくないがこの卑劣漢は教授がお気に入りらしい 私が気に入らないから肉挽きトンネルに放り込んだんだ 自分に他人の運命を決める権利があるとでも?
そうじゃありません
どうして長いマッチをつかませた?
あなたが引いたマッチは本当に長かった 言わばゾーンがあなたを選んだのです 本当です 私は人を選びません 間違えたら大変ですから だれかが行かねばなりません
はい… いや診察所じゃない! 何が“だれかが行かねば”だ
いけません!
第9研究室を頼む
お待ちください
私だ 分かるか?
何の用だ?
君らが隠したものを見つけたよ 旧館第4貯蔵庫でな 聞こえているか?
保安部に通報するぞ
よかろう 通報でも密告でもするがいい だが私を止めることはできんよ あと数歩の所まで来ている 聞いているか?
学者生命は終わりだぞ
結構だ
どうなるか分かっているのか?
また脅しか 私はずっとおびえて生きてきた 君にもな だがもう怖くはない
落ち着け 早まるんじゃない 君はその器じゃない 私が君のかみさんと寝たから今頃になって仕返しか よかろう やるがいい 卑劣なまねでも何でも だが覚えておけ 徴役どころでは済まんぞ 一生良心の呵責に苦しめ 牢獄の便所で首を吊る君の姿が目に浮かぶ
どうしたんだね 教授?
皆が部屋を信じ始めたらどうなる? ここへ殺到するだろう それは時間の問題だ 何千人どころではすまないだろう 中には没落した王や異端審問官 独裁者にそれにさまざまな慈善家たちも世界を変えようとして押しかけるだろう
そんな連中は…
連れてこないと言うのか? 君だけがストーカーじゃない それに誰が何の目的で来るか君たちは知らないだろ? 動機不明の犯罪が多いが君たちのせいかもしれん 軍事クーデターもだ 政府内のマフィアは君たちの上客では? レーザーに生物兵器 金庫に隠されている汚らわしいもろもろ 関係ないか?
もう結構 吐き気がする 本気でそう思っているのか?
良い話は信じないが怖ろしいことなのでね
ばかばかしい 個々の人間の愛や憎しみはそんなに強くはないよ 世界を変えられはしない 金だの女だの昇進だの嫌いな上司を呪う その程度のものだ 世界正義や神の国の追及は個人の願いごとではない 個の力では実現しないイデオロギーや哲学だ 無我の愛なんか成立するはずがない 本能的欲望がまさるさ
他人の不幸をもとにした幸福など…
これではっきりしたな 教授は高尚な善意から破壊を決めた しかし私には分かる あなたには何もできない 人類はおろか自分のことも大それたことなど無理だ ノーベル賞をもらって喜んでいなさいな 結局世の中は不条理なことだらけだ どうにかできると考える方が誤りですよ あの電話もです 望みとは違うものが手に入る
どうして…
電話… 電気… おや 珍しい導眠剤だ いまは禁止されている薬ですよ
行きましょう 暗くなる前に部屋に入らないと
なるほどな 詞を朗誦したのもわざわざ遠回りしたのもすべて許しを請う手続きだったのですね 分かりますよ あなたの過去も知っているが惑わされないぞ あなたを許さない
やめてください 教授 こちらです ちょっと待ってください
急いではいないよ
お怒りでしょうが言わせてください 私たちはいま入り口にいます 最も重大な瞬間ですよ この部屋に入れば一番の望みがかなえられるのです 最も切実な心からの望みがです 言う必要はありません ただ精神を集中してこれまでの人生を思い出してください 人は過去を思うときより善良になります ただひたすらに… ひたすらに… 信じてください さあ どうぞ どなたから? あなた?
私か? いや 入りたくない
ご心配なく すぐに終わりますから
すぐだと?
どうだかな それに過去を思い出しても善良になれはしない 自分なら恥ずかしくてできないのではないか? 卑屈な態度で鼻水たらして許しを請う…
“許し”ですって? 自意識過剰ですよ 心の準備ができてないんでしょう 分かります
あなたが先に
私だ
出たぞ 教授の中の教授による発明 最新式精神分析器具の登場だ
これは爆弾だ
何だって? ご冗談を
爆弾だよ 20キロトンの
何のために?
昔私が仲間たちと作った かつての同僚たちと ここは誰も幸せになどしない 悪用されるばかりだ それを防ごうとこれを作ったんだ だがその後ゾーンを残そうという意見が出た 自然が与えた奇跡かも知れないし希望を残しておこうということになった かつての仲間たちは爆弾を隠したが私が見つけ出したのさ 彼らの暴走を防ぐには破壊しなくてはならない 御心配なく 気は確かだ あらゆる無頼の徒にこの病巣が解放されているかぎり眠りも安らぎもない それともゾーンが自衛してくれるかね
お気の毒 苦労性ですな
よこしなさい!
暴力はよしなさい
何だ この偽善者め!
どうして私を殴るんです? なぜです? 希望を失ってもいいんですか? 世間に希望は残されてません ここだけが希望を抱ける場所なのです あなた方も来た どうして破壊するんですか?
やかましい! 正体は分かっているぞ 同情するふりをして他人の不幸をあざけっている それで稼いでいる ここでは貴様は王だし神だからな 汚らわしい偽善者め 他人の命をもてあそぶとは ストーカーはなぜ自分で部屋に入らない? なぜか? 秘密の権力を楽しんでるからだ さぞ楽しいだろうよ
それは違う 違います ストーカーは自己利益を目的にしてはいけないのです ジカブラスがいい例です 確かに私はできそこないです 世間では何もできません 妻も幸せにできず友だちもありません ただ私にはここがある 奪わないでください 私からゾーンを ここがすべてなのです 私の幸福も自由も尊厳も全部あるんです 私と同じように痛めつけられた人たちをここに連れてきて助けることもできます 希望を与えるんです 私にはできる 人助けできるのは幸せです 他には何も要りません
そうかもしれない だがやはり貴様は正気じゃないな 本当は理解していないんだろ なぜヤマアラシは首を吊った?
我欲のためにゾーンに入ったからです だから弟を肉挽き機で
だがなぜ自殺した? 弟を取り戻しにくればよかったのに 取り乱したのか?
そうしたかったでしょうが… 分かりません
ここでかなう望みとは無意識のものなんだよ さっき自分で言っただろ 一番切実な夢がかなうのだと 自分でも気付かない本性が表れるんだ ジカブラスは我欲に負けたのではない 弟を返してくれと哀願したのにゾーンが彼に与えたのは大金だったのだ  そんな自分の本性を突きつけられ良心や心の痛みは己の本質ではないと悟り彼は首を吊ったんだ 私は部屋に入らない 自分の本性の腐肉など欲しくないし他人にも見せたくない 首を吊りたくもない 自分の家で飲んだくれているほうがましだよ こんな人間を連れてくるとは人を見る目がないな ところで教授は奇跡の話をどこで聞きました? ここで望みがかなうなどと? ここに来て幸福になった人に会いましたか? ジカブラスですか? そもそも誰に聞いたのですか ゾーンやジカブラスや部屋のことを?
彼からだ 私も分からなくなった ここへ来る意味が…
静かですね 聞こえますか? そうだ 何もかも捨てて妻や“お猿”と一緒にここへ移ってこようかな ここで暮らそうか… 誰もいないし… 面倒もない

帰ったのね どこの犬?
付いて来た 捨てることはできないだろ
さあ 帰りましょう “お猿”も来てるのよ 行きましょ 犬は要りませんか?
家で5頭飼っている
犬がお好きなんですね いいことですわ
もういい 行こう

今度ばかりは疲れた 苦しかったよ どこがインテリなんだ 作家だと 教授だと!
落ち着いて
あいつらは信じるための器官が退化しているに違いない きっとそうだ
分かったからもうやめて 行きましょう 起きてよ こんな所に寝ないで 脱いで
何て奴らだ!
かわいそうな人たちなのよ 同情してあげなくちゃ
うつろな目だったろ? 自分を売り込むことしか奴らを考えてないんだ 感情すら計算ずくだ 人生についてたわごとを並べ立てるが天国とは無縁だ なにかを信じたことなどない
さあ もう落ち着いて 少し眠ったほうがいいわ
誰も信じようとしない 誰ひとりとして信じようとしない 誰を連れていく? 主よ 怖ろしいことに誰もあの部屋を必要としていません 私はむなしい努力を… もう誰も連れていく気はない
私が一緒に行ってあげようか? それなら満足? 私にも願い事があるわよ
ダメだ ダメだよ
どうして?
絶対ダメだ お前にもしものことが起こったら…
母は死ぬまで反対でした 夫はああいう変わった人でしょう みんなの笑いものになってのろまで哀れな人でした 母は言いました “ストーカーよ 呪われた永遠の囚人よ ろくな子供は生まれない”って 私は答えられませんでした 彼と結婚したら大変だろうってことも覚悟はしてました でも好きになったんですから仕方ありません 苦しむだろうけど苦しみの中の幸せのほうが単調な暮らしよりましだろうなんてあとで無理にこじつけました ある時彼に突然“一緒になろう”と言われました 私は後悔してません 本当です 怖い思いも恥ずかしい思いもしました でも後悔は1度もしてません それが運命なんです 従うしかありません 生活に苦しみがなかったら味気ないでしょう 苦しみがなければ幸せもないでしょうし希望もありませんから 以上です
“私は君の瞳を愛する 友よ ふと眼差しを上げ閃光のごとく熱くあたりを眺めやるその瞳を私は慈しむ その燃える瞳を だが一層まさるものは情熱の口づけに伏せた瞳 そして私は見つめる 君のまつげの下に輝く 憂いを含みほの暗い欲望の炎を”

『ストーカー』