天下泰平

入れ!
ただの号令ではない その一言に皆戦慄が走り恐れ慄く 少し前に天地が変わるような事件が起きた 西太后が8名の重臣を失脚させ殺したのだ 原因は政権争いで現在それは“辛酉事変”と呼ばれる

なぜ竜が鳳凰の上にいるの?
当然さ 竜は皇帝で鳳凰は皇后だからな 竜の方が位は上なんだよ
わたしが皇后だったら鳳凰を上にするわ
あんたが皇后ならこの世の中はひっくり返るだろうよ 無料で彫ってやるさ
ほんと?
そうだ あんたの姓は?
恵よ
すると満州人だな
満州の青旗よ
満州人なら部族名があるはずだが
エホナラ どうしたの?
何でもないよ 別に
玉蘭!

60年後においては鳳凰が竜の上でも不思議はない 実際実権を握った彼女は浅い彫りを嫌い深く彫り直させたのである 穴が開くほどに深く彫らせ鳳凰を雲上に飛来させた 彼女の目の前にはその素晴らしい丹陛があった 鳳凰と竜の図柄である 柱は鳳凰が竜の上に 柵は鳳凰が表側 竜が裏側である この独特の意匠は墓陵の中にまで及んでいる 彼女の欲望は何もかも焼き尽くす炎のごとし 彼女こそ西太后こと慈禧皇太后である 清末期48年間で3度の垂簾政治を行った 落ち着いた風情と威厳ある容姿は若い頃の美しさを彷彿とさせる 部族名は“エホナラ” “エホ”は川辺を“ナラ”は太陽を指す 部族の最後の首長は清の初代皇帝ヌルハチに倒されている 首長プヤングは臨終を前にこう天に誓った “エホナラの女が生き残れば独りでもお前らを滅ぼす ヌルハチとエホナラは相容れぬのだ” 西太后74歳の時の肖像画 怒りを浮かべた表情 手にはボタンの扇 目は丹陛の下でひれ伏す民を見下ろす 手中の山河を見るような眼差しをしている そして心の中で言うのだ “私は宮廷に入った そして竜の上を飛んでいるのだ”

志を持つ娘が1人いた 臆することなく周囲を見回している “ここは皇帝の花畑かしら?” 初めて見る草花や巨木 立派な建物の数々 足元には石の彫り物が施されている 赤い壁 輝く瓦屋根 白くまばゆい欄干 あちこちに竜が施されている いやになるほど竜ばかり いつの日か鳳凰になってこの竜の上を飛ぼう 図柄を改め世界に認められたい

懿貴妃は御前会議に乱入し宮廷で自らの才覚を発揮した 政治に干与? それこそ彼女の大望だったのだ

お入りください 陛下の棺です 2日前北京から運びました さあ中へどうぞ 珍しい金糸模様のクスノキだ 雲南の山でとれたもので遺体が千年間腐らないらしい 運ぶのに40万も要したと 懿貴妃にお伝えしてきます

立ってよろしい 近頃政務はだれが?
重臣会議です でも多数の要件が滞っております
なぜ?
若君さまではごムリで
康熙帝のご即位は確か8才だったわ あの当時は政治はどんなやり方だったの?
皇太后がお助けになりました
国の重大事は?
4人の重臣が
だれなの?
スーニ アオパイ その他の顔ぶれです
その後は?
ご成人と共に帝の親政に
それは分かっているわ ご親政のあと重臣のアオパイはどうなさったの?
勅令ですぐ監禁されました 功績があったので何とか死罪は免れましたが
寛大なご処分ね 私だったら重臣は皆殺しよ
皇后さま並びに懿貴妃さまはじつに賢明でおられます 浅学の私に責任を問うのはどうか… あるのは忠誠心のみ 皇后さまのためなら命を差し出しましょう

では言うがあなたは先帝の妹君の夫 他の臣下と違って親戚なのですよ
仰せのとおり
重臣たちに陰謀があったらすぐ知らせなさい さがって

この布告を書いたのは誰なの?
重臣一同で起草しました
大臣であろう 為政者として勅書とは何かここで答えてみよ
お答えします 勅書とは皇帝陛下のお言葉です
幼君なのに…
そのため先帝は幼帝を補佐せよとお命じになった
よくわかりました 気がきくわね でもその代理の言葉で私たちを抑えつけるつもり?
皇太后さま方への不敬は勅旨にありません
そう
“完全にあやまり”とは?
董元醇の建白書に反論いたしました
気にいらない?
混乱を招くだけです
何ですって? 混乱を招くというの? どんな点が? どんな点?
その布告の中にはっきり書いてあります お読みになったでしょう
よろしい 改めて訊きます 陛下に個人教師をつけることも国の混乱を招くのか? 陛下お1人で何ができるというの
陛下も私たちの存在を必要とされています
存じてます 私にもそうおっしゃいました しかも何度もです この件は北京に戻ってから再考しましょう 陛下に進言する人物は1人で十分かと
では董元醇には提案する資格がないというの?
ありません
大事な政策を扱えるのは私どもだけです 何もかも心得ております 今までどんな難問でも処理いたしました 董元醇には物事を判断する能力がございません すぐ風聞に流されます
お前たち8人は実に横暴です 国政への野望に燃え権力を独占したがっている! 皇帝や皇太后は無視するの?
政治に干与される必要はないと…
何だって?
幼君は重臣たちがお助けし皇太后さまは建白書をお読みになる必要もない
幼君をお助けする? 都合のいい口実ね 皇帝をよくご覧なさい 幼い子供には母親の助けこそ必要です 母親が代理を務めるのは当然です 聞きなさい 皇帝のご命令です これを撤回して 私の指示した通り書き直すこと!
国家は家庭ではない ご命令を撤回ください
撤回しろ?
慈安さまの発言を聞いていただろう どうせ勝手をするならもう聞くな
慈安さまご自身のご命令なら
私には従えないというの?
我々は崩御された皇帝陛下のご信任を得てそのご遺志を実行しております 皇太后さま 政治には関わらないで頂きたい
何と無礼な! みんなさがりなさい さがって! さがるのよ!

ひざまずき勅令を聞け
それはだれが出した勅令だ?
恭親王と大学士の桂良 重臣の周および文祥だ その連中はどんな権限があって勅令を出すのだ? 清朝伝来の法規を知らんのか? それに皇帝が崩御されたばかりなのに!
その通り その悲しみもさめぬのにご遺骸護送にめかけ連れだ これこそ立派な反逆罪だ 言い分は? ひざまずかせろ
畜生! きたない陰謀だ! 覚えておれ! 裏切り者が! 外国と手を結んで俺たちを裏切りやがって! 恭親王と西太后の恥知らず! おまえたちには良心のかけらさえない! ろくな死に方はしないぞ!
何?
6番目の親王だ
だれよ
余計な事に首を突っ込むんじゃない
勝手な人ね 何も頭ごなしに…
天下泰平 庶民どもは寝てろ

おい 何をする
粛順 あきらめが悪いな 私はただ命令を実行しているだけだ
この野郎 重臣を侮辱する気か! 畜生!
国賊め 死んじまえ
この売国奴 早く死んじまえ!
外国の密偵め 死ね
ひざまずけ! ひざまずくんだ! 早くしろ!
閣下 毒酒を飲むとかなり苦しみます 首つりのほうがお楽ですよ
こいつ!
はいれ
承服できん! 絶対に! 死んでも承服せぬ!
閣下 お願いですよ ぐずぐずなさらないで下さい ちょっと首をさし出せばすぐに死ねるんです ふだんはいつもいばりくさっていたのに往生際が悪いね よし準備しろ

よろしい 運び出して来なさい
はい 運び出せ
あかるい陽ざし 澄みわたる空 桃の花は火のようで 柳はたなびく煙 彼女が来たの? 今日は来ると思ったわ そこにいるのね? 来ることはわかっていたわ
なぜ?
今日は10月9日でしょ 皇帝の即位式の日ね そして明日は10月10日 あなたの誕生日だわ きっと来ると思った 勝利を噛みしめにね
賢いのね 私を見に来たのではなく自分を見せに来たのね 自分の成功した姿 名誉ある今の姿を そして皇帝の母として手にした権力 国家に及ぶ力を見せに来たのね
そう でもお前の様子も見たかった そのしなやかな手と脚を拝見しに来たのよ 皇帝がこよなく愛された…
それじゃきっとがっかりなさったでしょうね もうご覧になれないもの あの美しかった手も脚もないのだから でも言っておくわ 今は手も脚もないけれどこのほうがずっと気楽なのよ でもあなたは考えすぎると夜も眠れなくなるんじゃない
なぜ?
あなたはいつも他人を傷つけて苦しめて来たもの でもうわべはいかにもやさしいふりで慈悲のみ仏のようだわ
おだまり! おまえを幽霊のような女にしてやるよ 運んで 連れて行くんだよ!
その女を運べ
いいえ あの女を生かしたままもっと苦しめたいの

『西太后』