虐殺の結果

見張りの者が“連中がキャンプの住人を射殺した”と叫んだ 並ばせて撃ったらしい “あそこです”と 私は本部の司令官に連絡し難民キャンプ内での異状を報告 だが司令官の返事は“ああ 承知してる” 了解済みだとあっさり言われた
当時本部が設置されていたのは?
100メートルほど離れたビルの屋上だ
高さは?
キャンプが見渡せる高さだよ 我々よりよく見えたはずさ

その夜は出歩く気になれずベイルート市内のアパートへ戻った 友人と夕食を取ることにしたんだ 友人は第211旅団の幹部たちを何人か誘ったよ 食事中ある連隊長が私を隅へ呼びこう言った “難民キャンプで虐殺事件が起きたと部下から報告が” そして具体例を話しだした 一家惨殺や銃撃を実際に見たかと私は聞いた “見たのは部下だが同様の報告が相次いでる” 食卓の話題は虐殺一色になった その晩だ 皆が帰った11時半 私は酒をあおりシャロン国防相へ電話を 牧場にいた彼は既に寝ていた様子でね 構わず私は言った “虐殺事件が起きているんです 犠牲者は難民たちですよ 早く止めないと” すると国防相は“君が見たのか?”と “違いますが複数の目撃者から報告を得ました” 彼の返事は“知らせをありがとう” “すぐに調査する”と言うべきだろう? なのに“ありがとう” “よいお年を”と同じノリさ 軽く流されてそれきり

あの大虐殺を実行したのはキリスト教徒のファランヘ党だった 僕らイスラエル軍は彼らを側面で支援 情報量は部隊ごとに違い近い部隊ほど詳しい だが誰もが理解しなかったのさ 虐殺だと思わなかった
君のいた部隊は?
わりと後方だったよ
何をやっていた? 思い出せ
ビルの上で光る空を見てた
なぜ光ってた?
照明弾さ 連中が行動しやすくなる
君も発射作業を?
なぜ? 作業したかしないかで虐殺への加担の度合いが違うのか?
当時の君には同じだったんだな 傍観者も実行者も同罪だと判断し君は虐殺事件の記憶を封印した 19歳で罪を背負ったのさ “ナチと同じだ”とね だが君は虐殺の実行犯ではなかった

翌朝5時に目覚めた私は撮影クルーに電話 全員を起こした その後車で難民キャンプへ 入り口に着いた時衝撃を受けたよ ワルシャワ・ゲットーの写真を知ってるかい? 子供が手を上げてる写真がある それによく似ていた 延々と続く弱者の列 アモス准将に連絡をと思った時本人の車が人々の前にやってきた 手前で止まり怒ったような動作で戻れと合図する それですべてが終わった
〈攻撃は中止 やめるんだ これは命令だぞ やめろ 難民は住居へ戻れ 家へ戻るんだ〉
ファランヘ党の兵士は立ち去り女性や子供たちは再び中へ戻っていった
難民?
ああ パレスチナ人だ 私はクルーに言った “彼らと一緒に中へ入ろう 何があったのか見ておくんだ” 内部はまさに廃墟 歩いていくと小さな手が見えた 小さな子供の手 がれきから小さな手が出てる 近寄るとカールした髪の毛も見えてきた 子供の頭部だ 土ぼこりにまみれていたが確かに頭だった 鼻から下はがれきに埋まって見えない 手と頭だけ 私の娘と同じ年ごろの幼い少女 カールした髪が似ていた キャンプ内の家には中庭がついてる どこも女性と子供の遺体であふれていた 男性の処刑後家族が殺されたらしい 次に私たちは狭い路地に入った 幅はおとな1人半ほど そこには私の胸の高さにまで若い男性の死体が積まれていた ふいに実感した “ああ これは虐殺の結果なんだ”


『戦場でワルツを』